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2020年3月14日・カウンセラーさんに宛てた手紙(独白)

以下は2020年3月14日に書いた文章です。

私は、2020年1月23日に初めてのナラティブ・カウンセリングを受けました。その1週間後である1月29日にカウンセラーさんからメールが届きました。そこには、もともとリクエストしていた「当日の録音データ」に加えて“お手紙”というタイトルのワード文書が添付されていました。

“お手紙”には、「1月23日、私たちはこういったことを話題にしましたね」とカウンセリング全体の内容をふりかえるようなことが書いてありました。それに加えて『書きながら浮かんできた興味からくる質問』というものをいくつか添えてあったので、私はそれらの質問に反応するようなかたちで、以下の文章を書きました。お返事といえばそうですが、どちらかというと独白のような……自分の内面に向けての探求を推し進めていくようにして、書いた文章になります。

見出しにしている『』でくくった部分が、カウンセラーさんの書いてくださった問いかけです。(もともと「●●さんに」と名前が書いてあった部分を「あなたに」に変える改変を加えています)

『別の常識、色々な器の形が認められる場所があるという考えに何度も出会ってきたことは、あなたにとってどんな意味があったんだろう』

私自身が、社会から真っ当だとされる形に無意識に自分を押し込め続けてきたのだと思います。ニュージーランドでの経験をきっかけに、常識とされるものによる呪縛からは解き放たれたつもりでいましたが、ここ数年間もずっと依然として、本来自分の中にはなかったものからの要請(自分の形とはそぐわないもの)に基づいた目標設定のもとに動いていたように思います。

外部からの要請による目標設定とは、「稼ごう」「価値のある人間になろう」「求められる人材になろう」「将来的に有用なスキルを身につけよう」などです。

野菜にたとえると、「規格外品ではだめだ」と自分を市場に並ぶ綺麗な形に矯正したり、どうすれば1個10円じゃなく、1個500円や1000円になれるのかを考えるような感じです。

「稼ぐ」「スキルを身につける」などは、至極真っ当で、別に間違ってもないことのように感じられます。ただ、今回の私にとっては、これを指針に動いたことで、結果的に体調を崩すことになったのは事実としてあると思います。

このことについては、「自分にあってない道に進もうとしたら、『お前に歩むべき道はこっちではないぞ』『いいかげん気づんかんか』と、大きな扉が重く閉ざされた(向こうから締め出された)ような出来事」ととらえています。

昨年5月に転職して以降、体調を崩すまでは、その道(締め出された道)は間違いなく今後自分が歩んでいくにふさわしいものだと思っていましたし、その先にあるもの(スキルアップや稼ぎや満足感)に意気揚々として、希望を抱いていました。8年近くかけてやっと長い自己分析が終わった、やっと正解の道・働き方にたどり着いた、ここからが新たなスタートだ! …そう思っていたのに、1年もしないうちにドロップアウト。1月から最近までは、そんな流れの先での気持ちを整理(頭で理解するだけでなく、腑落ちまで)をする日々でした。

では、今後どんな道に方向転換したいかというと『高給だから、つぶしがきくから…そんな理由でなく、「本来の自分が自然に求める方向」に進む。その過程で身につける必要があるものと出会ったり、何かしらのことができるようになっていき、気づいたら満足できるだけの収入や生活が得られていた。』という道です。(ちょっと夢物語すぎる話かもしれませんが…)これもまたもしかしたら数年後に違った!となるかもしれませんが、それすらも、今は「まーいっか、そーなったらそーなったで。」「その結果、なにごとも為さないまま歳だけ食ってしまうかもしれないけど、別にそれはそれでいーんじゃん」くらいの気持ちです。

ここまで考えたところで、では、いつから私は「稼ぐ」「市場価値を高める」などを考えるようになったのだろう? と思いました。ここ数年、ビジネスセミナーに通ったり、ビジネス書を読み漁っていたので、その影響はあるかと思います。でも、ふと思い出したのはもっと昔のことでした。

ひとつは、幼稚園か小学校低学年くらいの頃、公文の先生に将来何になりたいかと聞かれ、幼稚園の先生になりたいと答えたところ「そんな誰にでもなれるようなものじゃなくて、もっと頭のいい人しかなれないものにならないとダメよ。あなたはできる子なのだから」と言われたこと。

もうひとつは、浪人後、滑り止めの私立大学に合格した時に、入学祝いちょうだいよ〜と祖父におねだりした時に「〇〇大学(国立で、現役時代にA〜B判定で、希望校のひとつだった)に合格したんなら、そりゃやるけど、その大学じゃやれんなぁ」と言われたこと。

前者は、こんなに幼い頃の記憶がそこだけ鮮明に残っていることに驚きました。おそらくこの言葉が「他の人よりちょっと上を目指さないといけない」という深層心理につながってしまった気がします。そういえば、学生時代は「負け組になりたくない」とはっきり思っていましたし、自分の偏差値を上げたかったので、みんなで勉強をするのが嫌でした。(塾で教わった便利な解法を周りに教えたくなかった。)

後者は、学歴コンプレックスを持ってた自覚はあった(良い大学に入って良い会社に入れれば将来安泰。という価値観を信じ切って受験→落ちるとなったため、自分の存在意義も生きる意味も見失った)のですが、ピンポイントにこの言葉が突き刺さっていたのもあったのだなぁという気づきです。幼い頃から、まわりから「できる子」として扱われてきましたが(それも単に公文や塾で予習できてたというだけなのですか)、受験に関しては、まわりの期待・賞賛に見合う成果を出せなかったのだ、という落胆を感じたように思います。

『「楽しく生きたい」と願ったそこには、ひょっとしてあなた自身の希望が何か重なっていたんだろうか、と、そんなことも聞いてみたくなりました。』

浪人して受けたセンター試験の帰り道(翌日の自己採点後の帰路だったかもしれません)、人生で初めて心の底から「死にたい」と思ったことはよく覚えています。

それからの大学在学中は、一人暮らしなことをいいことに家にいる間は「死にたい」とつぶやき続けてました。今思えば、まるで呪詛(洗脳)だなと思います。4年間もそんなことを口にし続けていれば、そりゃあ人生に絶望した人間が出来上がるよなと。(そんなもののかわりにスティーブ・ジョブズの卒業式スピーチとか、英単語帳を1日1ページずつ唱えてたらどんなによかったか・・・)

「人生は苦しい。生きている意味もわからない。でも死ぬわけにはいかない、親をはじめ私とかかわりを持った人に後味悪くさせちゃうから。だから生きないといけない。でも人生は苦しい。生きたくない。なぜ生きなければならないの。親や周りを悲しませないため・・・」

この堂々めぐりを何千回と続けたどこかのタイミングで、「『生きなければならない』が絶対のことなら、楽しくないことには、これ以上生き続けるのは無理。生きることが楽しくなりたい。しなくてはならない」と思ったのだと思います。

「まわりを悲しませないために、生き続けなければならない」という消極的な理由ではなく、「生きることは楽しいから生きたい」と積極的な理由を持ちたい、と思ったのもあります。

すこし話はずれますが、「生きる意味がわからない」「そんなに能動的に生きていたいとは思わない」なんて口に出すのは、相手にとても失礼だと思っています。それは暗に「あなたの存在や一緒にいるこの時間に対して、ないならないで良いやと手放してしまえる程度の価値しか見出していません」という意味にもなり得るからです。

昔よりは前向きになった今現在でさえも不意に、「なんのために生きてるんだろう」「みんななんで生きていられるんだろう」と思います。友人に聞くと「えー、美味しいもの食べたいじゃん」とか「生きる意味なんてなくても生きてていいんだよ」とか言われますが、その答えで私は納得できません。

このことに関して、現状の自分の理解は次のようなものです。

『人生は苦しいものだ。苦しいにもかかわらす「生きる」ほうを選び取るなら、そこには選び取るに足るだけの何か(よろこび・輝き・報われ)があるはずだ。それは、たった一度だけ、ほんの一瞬の小さな出来事かもしれない。それでも「私の生はこのためにあったのだ」とおもえるほどの素晴らしい何かが、この長い旅路のどこかに、いつか必ず、ある。そんな全く根拠のない希望を信じて、それを見つけ出すために、辛くとも、苦しくとも、生きなくてはならない。絶対にそれはあると、私自身が身をもって証明する、そのために生きるのだ。』

たまに、この考え方自体から解き放たれたほうがいいんじゃない? とも思います。と同時に、このめんどくささこそが私を形作るものだ!(だから手放すわけにはいかない!)とも思います。おばあさんくらいになったら「こんなこともおもってたわねぇ」と思うのかもしれません。ですが今の時点では、これが私の信仰(行動原理。自らを鼓舞するために必要な呪文のようなもの)です。

「人生は苦しい」ということが大前提として色濃く私の中に影を落としたのは、大学受験以降です。では、その前提が私のなかに定住する前は、毎日を生きることに対してどんなことを思っていただろう? と思い返してみました。

人生になんの憂いもなく毎日が一番キラキラしていた中学時代は「自分の人生を面白くするのは自分!」と思っていました。日記を書くのが大好きで、「死んだらお空の上で分厚い自伝を読むんだと思う。だからいろんなエピソードを自ら作り出して、めっちゃ面白い本(人生)を作っておかなきゃ」と考えていました。例えば、昨日と違う道を通ってみる。気になった店には入ってみる。そんな風に、些細なことではありますが「日記のネタになる行動をとらなきゃ!」と日々過ごしていました。

高校のときで思い出すのは、倫理を勉強していて、ニーチェの「運命愛」「これが人生か、さらばもう一度」という思想に強く惹かれたことです。ざっくり「どんなに辛いことがあろうともそれこそが自分の人生だと受け止め、人生の全てを肯定する」といったような意味だったと思います。これに出会った時点ではそこまで人生を悲観してないはずですが、「苦しくとも生きる(人生を愛すことすらする)決意」という思想に先回りして出会って、印象に残っていたというのは面白いです。

ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』を初めて読んだのも高3くらいだった気がします。あまりの内容に、1ページめくるごとに、休憩をいれないと先に進めないほどでした。詳しい内容はあまり覚えていませんが、人々の生きることへの姿勢にとにかく圧倒された記憶があります。(フランクルの著書はいつか一気読みしたいと常々思っていたので、今は良い機会なので、実行に移したいです。)

なんだか最初の問いかけから話が広がりすぎた上にそれてしまったかもしれません。

何が言いたかったかというと、「基本的に私は『生きたい』と素直に思えない根底の思いがあるので、『生きる』を選択しないといけないのであれば、楽しい人生じゃないと、生きていられない(やりたくないことに時間を費やしてストレス貯めるのはいやだ。やりたいと思ったことをできるだけたくさん実現したい)」と感じるのです。

あとは、受験失敗直後は「人生はもう終わった(ダメダメな人生をもうどうすることもできない)」という思いだったのに対して「自分の人生は自分で良くしていける」と思えるようになった、ということでもあるかと思います。

ニュージーランドでの経験

あの日お話したものの他に、どんな体験があったのか思い出したりしてみました。ここで書くと冗長になってしまうので、また改めてお話する機会があれば、お話してみたいです。(「あれなしの人生は考えられない」と思うのに、その理由をうまく表現できないのは結構もどかしいです。「結局あの経験はなんだったのか」というのが、感覚としては自分の中に確かにあっても、それを人に伝わる形で言語化ってまだできていなかったんだなぁと、帰り道に考えていました)

また、あのとき生き生きといられたのは、なんの責任もなかったからというのもあると思います。基本「ホリデー」なので。

『これまでの、「火」ゆえの面倒くさかったり苦労してきたという歴史は、どんなことがあったんだろう?』

「火」ってあらためてなんだろう…というところが、まだ曖昧ではあります。もしかしたら、あの時話していた火とはまた違った意味合いになっているかもしれませんが、今改めて考えるとこんなものも表しているように思います。

自分を貫き通す意志。自分が信じるもの(正しいと感じること)を主張すること。世間的にこうだという型にはまってしまわないこと。仕方ない・しょうがない・こんなもんだと諦めてしまわない心。自分のやりたいこと。瞬間的な勢い・ひらめき(長持ちしない・根拠はない)。

歴史にどんなことがあったかというと、やはり転職が多いことです。やってみて、半年をすぎるくらいになると「なんか違う」と感じ始め、申し訳ないと思いつつもサクッとやめてしまう。

始める瞬間は「これ面白そう!」とか「やるべきはこれだ!」というように「これこそが間違いなく選び取るものである!」と確信があるのですが、数ヶ月後にはまた新たな思いが生まれていて、それは数ヶ月前の自分とはすでに考えが違っていたりします。

『「火」を「わがまま」だとみなす考えについて。この「わがまま」というのは、いつどこからやってきた言葉なんだろう』

はっきり言われたことはないのですが、新卒で入った会社でのエピソードが頭に浮かびます。

当時私は「もっと会社をこうしていきたい」といったことを社内で発表していて、会社としてもそういう方向で動いていこうかというムードになっていたのですが、私はそれを言った数ヶ月後に転職の意向を上司に伝えました。上司からは「結局辞めるんだったら、なにもしないでほしかった」と言われました。上司の言うことはまったくその通りだと自分でも思います。その時に、自分は周りのことより自分を優先するわがままな人間だなと思ったのではないかと思います。

一つ一つの現場できちんとやりきってから転職をするのが筋です。この時に限らず、自分がやり始めて途中にもかかわらず「私はこう行動したい」ということを優先し、転職したことが何度もあります。

今回の会社でも、私は入社当初から社内SNS上で活発に発信をしたり、集まりに参加したり、新卒の子たちと絡んだり、割と目立って活動していたほうだと思います。そんな中、客観的には突然の退職となってしまい、のちに親しくしていた同僚から「実際のところあなたが辞めてショック受けてる人は多いと思う」ということも言われました。

こんなことになるなら(中途半端で終わるなら・人に微妙な思いをさせるなら)、最初からなにもしなければいいし、やるなら最後までやりきれよ。と思います。今回に関しては、体調を崩したのでやむを得ない部分もありますが、理由はどうあれ中途半端に終わることが人生のパターンになってしまっていると感じます。

「やりきらない」「引っ掻き回しただけで去ってしまう」ことがひとつ自分の人生のなかで繰り返し起こるよくない行動に思います。自分ひとりの話なら別にいいのですが、いちいち人を巻き込むのはよくないです。

『「火」を手放さなかったことは、あなたの人生にどんな色を付け加えたんだろう』

上記のように、どちらかというと、マイナスイメージ、やり切らないという、ドロっとした黒っぽい汚点・しみが自分についているような気がします。

同時に、やっぱり、何をするにも(決断と実行、スタートに踏み切ること、止めること)サイクルが早いのだろうなあと感じるので、その分同じ時間のなかでいろんなことをやっていて、カラフルではあるのかなと思います。(一つ一つが浅くて、モノになっているものがありませんが・・・)

『今日この時まで、転職が多かったり、そんなにも面倒くさいこともありながら、どのようにして、あなたはこの「火」をあきらめないで来たのだろうか?』

自分の人生だから、「こっちだ」とその瞬間正しい(私はこれを選びたい)と思う方を思い切って(人の義理人情を無下に振り払って)行使してきました。あきらめないというよりは結果的にそうなってる感じです。

『「火」にもう少し発言権を与えたら、どんなことを話してくれるんだろう』

今までの文章は、3/14に書いているものですが、次の文章は、お手紙を頂いてすぐに書いたものです。

「自分の人生なのに、なんで、やりたくもないことを。

1分、1秒も、自分の意に反することなんてやりたくない。隷属する人生なら、なんのために、私、他の誰とも違う唯一無二の存在としての私、として生まれてきたのか。心が弾まない時間を、自分が納得いかないくらい多く過ごすんだったら、いいよ、消えるから。そこまでして生きていようなんて思わない。生きている甲斐がない。人生の全て、この一瞬一瞬を、細胞が沸き立つような、震え上がるような、そういった充実感で満たしたい。それが生きているってことだと思う。」

お手紙を読んだ勢いで、あの日にしか出てこなかった言葉だなあと思いますが、今読んでも、火はこのように話すだろうと思います。

火について、色々書いてきましたが「ほとばしる大きすぎるエネルギーを自分でも扱いかねている」「自分も振り回されているし、その過程でまわりまで焦げ散らかしている」感じです。暴れ馬を乗りこなせていない。前回お話したときとはまた違った話ですが、やはりここでも「未熟」なのです。上手く(自分の制御下において冷静に)扱えるようになれば、または使うにふさわしい場所で振るうことができれば、善きエネルギーとして、なにかに貢献できるはずだと思う(思いたい)ですが、そこにどう至れるのかがまだ見えていません。

余談

(ここは特に、私がついでに書き留めておきたいだけの話で、読んでいただく必要がない部分です・・・)

ここまで思えるようになるまでに私を引っ張り上げてくれたものには、2月中に見たアニメやWebサイトがありました。

アニメのほうは、とあるキャラクターのセリフに、「火」をみました。そうだ、このキャラが言っていることと同じことを私は感じている。そう思って、巻き戻して何度も何度も見返しました。

Webサイトは、平安時代の歌人・清少納言のことを解説したこのページです

「『枕草子』って、人生の窮地に立たされてなお、この世界を祝福する話なんです。」という一文とともに、ここに解説されている清少納言の生き様にとても励まされました。

人生は苦しいものでありますが、その中で尊いと感じられるものに、苦しみもがきながらも生きる人の想い、苦しみあればこそその果てに人が生み出す何か、があります。

もともと和歌や平安時代の日記は好きなのですが、それは1000年前も人は私と同じように悩んでいるということに、「私だけじゃないんだ、時代が変わっても変わらないんだ」と支えられる面白さです。1000年前の人のつぶやきに笑っちゃうくらい一字一句共感できるって本当にすごいですし、面白いだけでなく、今回のように、苦しい状況にありながらも「この世は素敵なものにあふれてる」という目線で本を書き上げた清少納言の姿勢が、1000年の時を超えて、今の私をものすごい勢いで引き上げてくれたことは、時代を一瞬にして飛び越えるなんというミラクルなのだろうと思います。

こういうことがあると、生きてることも案外悪くないなぁと思います。

上で「希望」の話がありましたが、清少納言のようなまなざしを持てることが、私のもつ希望なのかもしれません。

最後に

長々とさまざま書いてきました。大きな視点においての抽象的な考えに関しては、自分の中である一区切りに近いところまで整理されたと感じます。

前回お話ししたなかのコミュニケーションについてや、質問や相談についての困難さは、具体的な悩みであり、まだ深掘りができていません。長く自分につきまとっている事柄であり、今後また似たようなことで悩んで壁にぶち当たりそうなので、これはこれで考えたいテーマではあります。ただ、当面悩んでいることではないので、一旦脇に置いておいてもいいのかなとも思います。

目下一番の興味は「もし、私が『稼がなければ』『市場価値の高い仕事に就かねば』といった深層心理がなく、とにかく自分の興味関心を突き詰めていたとしたら、学生時代以降、何を選んでいたんだろう」ということです。(こういった仮定の上でのお話を、ナラティブで扱うことはできますか?)

というのも、進みたい方向性は抽象的には見えてきましたが、「じゃあ具体的にこれからなにする?」「何を目的地に据え、どう生活する?」ということがさっぱりわからないのです。それを考える上で、上のような仮定で自分が選ぶものが気になります。つまり、外からの声に惑わされなかった人生をシミュレートしてみたいです。

とはいえ、別に過去を全部間違った方向に進んだものとはとらえていません。外部からの要請に基づいて歩んだ過程で出来上がった自分が、さて今、この10年以上の紆余曲折も踏まえつつもゼロベースで何したい?というところも気になります。

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