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現実逃避と無力な自分と

WS補講の感想記事を書いてたら副産物が出てきたので、ここに書き留めておく。

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「現実逃避」という言葉

「現実逃避」という言葉を使った時に、その行為を別の場所からみたら、違う言葉が生まれてくるのではないか。

たとえば私のニュージーランドのワーホリだって、現実逃避という見方もできれば、自分の可能性を見つけられる場所に行ったのだともいえるはず。でも、なんだろうな・・・そういうの、世間に向かって堂々と言えない。たとえ、もし、そのようにせっかく語れるようになっても「いやそれ現実逃避でしょw」「なにその強がりww 自己正当化ww 自分探しってやつ??痛いww」みたいな。。。そういう声が返ってくることが目に見えている。(私はどれだけ世界を信用してないんだっていう話ですけど。)そういう世間から聞こえてきそうな声は、自分の声にもなってくる。自分でも「やっぱこれは都合のいい自己正当化ストーリーだよな・・・だって、結局なにが出来るようになった?英語もろくにしゃべれないまま。それがキャリアにつながったわけでもない。・・・うん、やっぱり現実逃避だったんだわ、あれは。」ってなってしまう。

オルタナティヴ・ストーリーとして引き出して、そして、人に何言われようと、自分で「こうだ!」と強く持っていられること。しっかりと、「あれは挑戦と冒険の日々で、私はそこで『こんな自分いたんじゃん!』っていう、フロンティア・スピリットを思い出す日々だったのだ!」って、他ならぬ自分が胸に抱いていられること。これ、2020年6月時点の私は本当にそこがガッチリ揺らがなくなったな、っておもう。これはまじで3月26日のアウトサイダーウィットネスのおかげなんですわ。これもー!このこともー!!書きたい!!!

はあー、今アラジンの魔法のランプもらったら私「この世界から嘲笑というものをなくしてください」って言いたいわ。(いや、嘲笑は、たとえそれがあろうとも自分を貫く!!というふうに、より自分の想いを強固にする役割も時には果たすのだろうから、完全にいらないものでもないんだろうけどさ。それでも!一方でやっぱり、やっと芽生えた小さな蕾を容赦なく無残に刈り取る場面が多すぎるのではと!!)

「そういう声が返ってくることが目に見えている。」ってところがちょっと気になったのでもう少し語ってみます。
まず、「どうしてそのように思うのだろうか?」と自分に問いかけてみる。(この質問イマイチだよな…「どうして」って使わない面白い問いかけ方はないものかな。)やはりというかなんというか、そんなツッコミを過去に実際に複数受けた経験があるからですね。結構まあそれはショックだったしかなしかったし、「正論だな」って感じたから。

しかしなぜ、「結局英語ができないまま」「キャリアにつながったわけではない」をマイナスにとらえるかといえば、履歴書に書けないからだ。面接でなんのアピールにもならないからだ。つまりは、「履歴書的にプラスになるか」「面接で自己アピールとして使える強いカードになるか」ということが判断基準・・・最終的な良い悪いをジャッジするものになってしまってる。
・・・・。
なんてこったい。
履歴書!! おまえは、どれだけ!!! 私たちの!! 創造性を!! 自由な心の羽ばたきを!! 奪っているのか!!!!(激おこぷんぷん丸ムカ着火ファイヤーー!!!)(……ってこれももう古いか。笑)(そして今のテンションなら私アシュヴァッターマンを召喚できてしまう気分だ・・・)

かつて私が陥った落とし穴

「問題が問題ではない」(問題の外在化)と「その人は問題に立ち向かっていける力を持っている」(ごめんなさいこれはもうちょっといい表現があるかもしれない)を前提に置くってめちゃめちゃ大事だろうな、と思うのです。

私の経験なのですが。仕事でうまくいかなくなって、チームリーダーやマネージャーに相談してたんですね。で、彼らはとても理解ある人たちだったので「自分ひとりの問題だと思わないで。ひとりで抱え込まないで」と言ってくれていました。「君がうまくいっていないなら、それは仕組みがよくないということだから」「メンバーである君がそこまで責任を感じなくていい、責任を負うのはリーダーだから」と。

そのように言ってもらえて、ほんとうにありがたいなと。だから、言ってもらった通りにとらえて、変なプレッシャーをもたないようにしなければと。そう思う一方で「でも、たとえその通りだとしても、私がもっとうまくできれば、こんなことにはならないはずなんだ」という気持ちがぬぐえなくて。

しかし私があまりにもそういうところにとどまり続けるので、だんだん「そんなに『できる』というところを目指さなくていい」という話になってきた。(いわゆる、君はプライドが高いタイプだ、完璧主義なんだ・・・というところ。)で、私も、そうだよな。と思って。もっとハードル下げればいいんだ。と。

しかしですね、その方向性は、責任やプレッシャーやハードルを取り除き、私の負担を軽くしてくれているようでいて、同時に、私のもつ「力」みたいなものも、弱体化させられていくのです。

あれ?私ってこんなに何もできない人だったんだけ・・・。おかしいな。一応、今までも働いてきてはいたはずなんだけど・・・。バイトと正社員だから違うのかな・・・正社員になったとたん、私の今までやってこれていた、周りの役に立ててると思うものは全く使えないのかな・・・。今までももしかしたら、周りの役に立ててたなんて独りよがり、思い上がりで、なんにもしてきてなかったのかも・・・。もうわからない。なんていうか、今このとき、「失敗ばかりする自分」というものだけが存在してる。だから、もうそれがすべてだ。今までがどうだったかとかじゃなくて、今、明日、どうするかだ。どうすればいい。何が問題だ。もうそれもわからない。それを考える頭がもうない。考えたい。でもまずあたまを休めた方がいいんじゃ。ああ、でもそれだと何も考えないまま明日がきてしまう・・何も解決しない・・ああ・・・。うん、そうだ、私にはなにもできないんだ。私は何もできない人間なんだ。そうだそうだ。それだ。あーすっきりすっきり。そうそう、私はなんにもできない赤ちゃんにもひとしい人間でーす。わーい。

って感じで。「問題の外在化」と「本人には力がある」という前提をとっておかない上司ー部下の面談って、こういうことになってしまう可能性があるのではないかと。すくなくともここに実例その1が。「無力な自分」に押し込められちゃうんです。思い出しながら書いてて、最後のとことか胸が痛いよね!!笑いながら心が泣いている。

実際のところは

結局この件なんだったのかなーと今振り返ると、「経験なくて、かつ向いてなさすぎて、ミス大炸裂」ってところですかね。いや、IT系は経験あったけど、もうちょっと細分化したときに、前職は未経験で。横スライドでまあなんとか行けるかなーと思ったら、行けなかったわ!向いてなさすぎたわ! って話ですな。というのも、今は在宅ワークでITっぽいことやってるのですが、そこでは「スムーズにやってくれていて助かっています」とお言葉いただきまして・・・つい昨日。おおう、よかった、得意なフィールドなら最低限できるようだわ私、、とちょっとホッとしたのであった。

余談

今、ゲームサントラを聴きながら書いてたのですけどー!もうー!フィールド音楽と飛空挺のテーマは本当に!!!最高ですね!!!『空駆けるハイウインド』が始まった瞬間胸に到来する気持ちはいったいなんなのか!!!高揚感といいようのない切なさと・・・!

ということで『空駆けるハイウインド』探したのですが、公式動画にはなかったので。これを!!!
https://youtu.be/M-KLYjkmSSo
あー。もうー。さいこうーー。0:45のところで「ウキャギャア〜〜〜!!!」ってなるよね。はー、大好きすぎる。この曲についてもすごい語りたいことがあるなあ・・・またいずれ。

(写真素材:umiphotoさんによる写真 )

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