つらつら日々思ったことをとりとめもなく。もう7月になってるけど、ネタがふってきてたのは6月なので!
そこで「咲く」ことにものすごい意味がある
ポスト構造主義
・私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、 その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。
・むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れ たものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。
・そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、 そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性 に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。
内田樹「寝ながら学べる構造主義」(2020/05/16「ナラティヴ・セラピー講座(理論編)」配布資料P.13より引用)
これが真実か否か(本当に100%社会はそのようにできているのか)って話じゃなくて、「この場では、そういう前提で話をしてみようよ」ってことなんだな、と。この世の真理を見つけるための議論をしているのではない。スポーツやゲームのルールのようなもの。この場でのみ、この場にいる人全員がそういうルールで話をしてみる。
だから「いや、そんなはずはない。このポスト構造主義という考え方に自分は納得できない(真理を言い当てているとは思えない)」と思っていても、別に用いていい。”今この場でだけ適用する”だけだから。なぜ適用するかといえば、そうすることによって、この前提を敷いた上でしか出てこない言葉があるかもしれないから。
ポスト構造主義に納得できないというよりは、「『問題が問題である』ということに納得できない」のほうがよくある気がする。「『すべて環境のせいで、その人自身の主体性(選択)が全くなかった』っていうのは、さすがにちょっと受け入れがたい」とか「あまりに責任転嫁が過ぎるのでは? 百歩譲って99%環境がそれを作り上げたとしても、1%はその人自身に非が・・・」とか。うんうん、だから、それもすごいわかるんだけど、「今ここ(ここでの何分間)だけは、その考えをちょっと脇に置いて話をしてみませんか?」ということ。そうすることによって、そうすることでしか、生まれ出づることのできない言葉があるかもしれないから。
「そういう、『ありえない前提(現実から乖離した前提)』で話をしたって意味ないんじゃない? だって現実はそうじゃないんだから。仮に、そういう特殊な前提で話して、何か見つかったとしても、現実に立ち戻ってしまえば、それは全く力をなさない意味のないものになってしまうんじゃない?」
うーーん、それはやってみなきゃわからないんじゃない? あなたの言うような結果になる可能性もあるし、そうじゃないことになる可能性もある。シュレディンガーの猫! こうやって「まだやってみないところ」で話している限りは、わからない。どっちの可能性もありえる、としか言えない。だから、とりあえず試しにちょっとだけ、話してみよう。15分でも、30分でも。その時間さえ惜しいかな?? うーん、じゃあ、もしも本当に結果的に、あなたの言うようになんの意味もない、現実ではなんの力も持たないものが、意味もなく咲いて枯れていくだけの虚無な時間になってしまったら、お詫びにアイスおごるから。ね、ものは試しに!!
・・・という謎の脳内会話。いやーナラティヴセラピー経験者としては、予想外の何かが「咲く」ことがすごい大事っていうか、それこそが!!って感じなんですよ。これはねー、ほんとに体験してみないとわかんないことだとおもう。なんかこう・・・解決策が見つかる、とかそういうのと別次元で、それが咲いたことによって(たとえそれはすぐに枯れてしまうものであっても。その後、一生どの場でも花開くことが、地球上の生態系的に不可能なものであっても)そのとき、そこで、一瞬でも「咲いた!!!!!!!」っていうことが、すごい、すごいことなんですよ。その一瞬を体験したことが、なんか、別の道/視点/心持ち・・を手に入れ得る契機になるというか・・・。
あと、落ち込んでる人に「ちょっと気晴らしにドライブでも行ってみない?」って誘うのとも似てる気がする。ずっと部屋の中に閉じこもってるだけじゃ、変化がないし堂々巡りになりがちだし、滅入るでしょと。べつになにがあるってわけでもないけど、ちょっといつもと違う景色を見に行って、そこで深呼吸するだけでも・・・それが具体的になににつながるわけでもないけど、少なくとも、今日1日部屋に閉じこもってるよりは、今日1日くらい気分転換しにいかない??って感じ。
(※でも、本気で寝込んで体調不良のときは起き上がる一つもほんとーーに大変なので、そこはちょっと難しいところ。ごはんは毎日ちゃんと食べられてるくらいが目安かなあ。完全な私の経験基準ですが。)
「咲く」はどこから
この「咲く」って表現どこから来たのかなーとぼんやり考えていたら思い当たった。歌詞ですね。
僕の花はもう二度と開きはしないと思ってた
でも遅くたって構わない 壊れた時間を取り戻したいもしも今この声が 誰かに届いてるなら
手を振ってくれないか 無力すぎる僕のために
それだけでどこまでも旅を続けていけるもしも今この声が 誰かに届いてるなら
その人に誓いたい 僕は愛を忘れないと
いつかまたぬくもりを抱いて歩いてみせる
その力信じたい 生まれ変わる勇気はもう 僕の中に(坂本真綾『光あれ』より)
書いてみて気づいたけど、直接「咲く」という言葉は出てないのだな。でもビジュアル的に、ニュアンス的に、出典はここなのです。ていうかーこれー私的ナラティヴ・セラピーのテーマソングですわ〜。手を振ってくれてるのはOW&Rチームで、だから私はどこまでも行けるし、人の中には必ず希望や自分自身を立て直す力があると確信することから始まるセラピー、まさにもう「その力信じたい」だし「もう 僕の中に」なんだよ!!!!!!
とりこむことば
しかしそう思うと、本当いかに今まで目にしてきた言葉によって思考が…世界の切り取り方、感じ方ができあがっているのかを実感する。であれば、日々取り入れることばにも注意深くなる。食品添加物がはいってないものとか、オーガニックとか、そういうことを言葉についても意識するようになる。(私はもう…いつぐらいかな、遅くともコロナ騒ぎ本格化したくらいから、一切テレビ見なくなった。ラジオだけ。らじるらじる。たまに民放ラジオ?聞くと、CMがちょこっと入るのすらすごいノイジーに感じてしまって、結局らじるらじるに戻る。あ、もちろん見たいアニメはアマプラで見てますけどね!声優さんのラジオも!そこは外せないオタクである。)
でもじゃあきれいなことばばかり取り入れてればいいかっていうと、それは、あまりに殺菌された環境にいるせいで海外に行くとコロッと病気にかかる日本人のごとく、免疫力的なものが培われないから、それはそれで・・・だけども。
Nobody but me is gonna change my story.
もう私びっくりしちゃったんですけど!
アニーのハードノックライフを見てたら、偶然見つけた『マチルダ(Matilda the Musical)』ってミュージカルの歌が最高にナラティヴ!! ちゃんとまた改めて語りたいんだけど、歌詞が! 歌詞がもう!! Naughty!! そうだよNaughtyなんだよ!!
全歌詞本当にいいんだけど、でも特にこのくだり〜〜〜。
Just because you find that life’s not fair, it
Doesn’t mean that you just have to grin and bear it.
If you always take it on the chin and wear it,
You might as well be saying you think that it’s OK.
And that’s not right.
And if it’s not right, you have to put it right.But nobody else is gonna put it right for me.
Nobody but me is gonna change my story.
Sometimes you have to be a little bit naughty.「Naughty」 – ミュージカル『マチルダ』より
支配的なディスコースにとらわれてないで! 自分の力でオルタナティヴ・ストーリーを紡ぎあげるのよ! それは世界中の誰にもできないこと、あなただけを除いて。そう、あなたにだけできること! ぼーいずえんがーるずあんどれでぃーすえんじぇんとるめん、Be a little bit naughty!!的な!!
あと「And if it’s not right, you have to put it right.」がほんとうにもう大好き!!
最初のほうに出てくる「Innocent victims of their story.」とかは手を額に当てて「Oh・・・」ってなる・・・
もちろん英語がわかったわけではなく・・・こちらの日本語訳を読ませていただきました。
あと4つくらい書くネタがあったけど一旦ここで投稿する。