なぜ今わたしがブログを始めることに至ったのか、ということを書いておきたい。
いろんな欠片があって、それらがあわさって、つまりそれらが意味するところは……とはじき出された結論が、「そうだ、ブログ、つくろう。」ということなのだけど。
まず、これから作るブログはどんなものかというところから。
散文。日記。おもいのたけを綴る。隠さない。本音で。私というものの全部盛り(これはもしかしたら、ちょっと、noteとか他メディアと一部住み分けはするかもしれない)。つぶやき。
整えない。SEOとか気にしない。いわゆる「オウンドメディア/アフィリエイトブログはこう作れ・こう書け」セオリーをガン無視する。(もちろん、せっかく素敵なテーマを使っているから必要に応じて見出しは入れるし、内容によってはきちんと読みやすくなるよう、推敲はする。)
つまり、振り回されないってこと。
そして、目的が違うってこと。
収益化ブログをつくるのではない。(せっかくまあ、作るんだし、ちょっと広告貼ったり本のリンクつけたりはするかもしれない。でも、それを売るための記事やら導線を作るとか、キャッシュポイントがどうだとか、自分ブランディングだとか、そういうことはしない。)
必要な部分だけ切り取って良く見せたり、
不必要な部分はひた隠しにしたり、
そうやって自分を作ることをしない。
そのままの自分を出すことを恐れない。
I swear.
きっかけになったもの
いろいろあるんだけど、言葉や作品としては、3つ思い浮かぶ。
ひとつめは、藤原 麻里菜さんの『無駄なことを続けるために』の一節。
ふたつめは、TVアニメ『映像研に手を出すな!』第7話の水崎ツバメのセリフ。
みっつめは、yujiさんのブログの記事。
これはひとつひとつ説明が必要だよね。
あとで追記する。または、ひとつひとつ別記事で書くか。
まあ、簡単に言えば、
こんなことをおもってる、
こんなわたしが、わたしは、ここにいるぞーーー!
というモールス信号みたいなものを、ネットの宇宙に発信しなけりゃと思った次第。
「ああ、ここにいたんだね」
ってお互いに思い合える誰かと、出遭うために。
そのままの自分とは
私はこんな風に思っている、という「内容」のことでもあり
頭に浮かぶ「言葉」や「表現」をそのまま出すということでもある。
正直、こんなポエミーまがいな、かっこよくないエントリを書いてるのは、ほんとうに今までの私の主義に本当に反することで。
クレバーに見せたかったのもあるかもしれないし。
でも何より、「私の言葉はおかしいのだ」と削って、矯正して、あるいは、「私の考えはまちがってるのだ」と、自分のうちにしまいこんで。
そうやって、安全圏にいること、だけど、なにも為しえない一生を終えること、をやめる。
ちょっと不安になってきた
できるだろうか。
うーん、まあ、そこまで気張らずに、とりあえず、初めてみるのです。自由に。
締まらないけど
なんとかWordPressができあがって、テーマもインポートできたようなので、今日のところはこんなもんで。