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合議制の会話と天岩戸と.hack//SIGN

閃いてしまった。
毎週見てるyoutubeLIVEで話されてたことと昨日の合議制の対話の経験がキュピーン!と繋がってしまった。

プロセスを見せるから、当事者意識が生まれるんだ!!!
参加したくなっちゃうんだ!!
だからたとえば、すっかり自分に無関心状態だった人も、問題の取り組みへ参画し始めるんだ!!

目次

江口晋太朗さんのおはなし from ホニャララLIVE

江口晋太朗さんご自身がとりくんでおられるまちづくりにおいては「シビックプライド(Civic Pride)」を大切にしている・・・という流れで話されていた以下の話。

(17:00〜)最近増えているまちづくりワークショップもそうで、・・・例えば体育館をつくるにしても、どういう体育館がいいかとか、体育館の機能をどういうふうにつくるかっていうときに、まちの色んな若い人からお年寄りの人まで来てもらって、体育館を含めた新しい場所をつくるための議論をして・・・(略)・・・色んな人がああだこうだ言いながら進めていく。
最終的にできるアウトプットというよりも、なにかそこで作り上げていくその「過程」によってみんなが、体育館を作るのって重要だよねとか、この体育館こういう風になるといいよね、ひいてはこの体育館含めてこのまちがこうなるといいよねっていう考えるきっかけになると思うんです。
https://youtu.be/RIcITsIHiaM?t=772
「#ホニャララLIVE 013 【家族と都市、新しいカタチ】編集者 #江口晋太朗」より

これだ!
合議制の会話でもこういうことが起こるんだ!!

合議制の会話で起こるかもしれないこと

私の話

いわゆる鬱状態のときって、「もうどうでもいい」って思ってる。私が苦しいことはもう逃れようがないし、どうしようもないし、もう諦めてる。自分の人生から自分を疎外し始めるてる? ほんとうは、究極的には、他でもない自分、自分しかそこに取り組むことはできないにもかかわらず。

そういうことをわかってる人が「”あなたは”どうしたいの?」って聞いてくれる。あなた、というところを強調して。

答えられないよ。
わからないよ。
どうしたいがないんだよ。
もう、だって、自分はどうしようもなくだめな人間で、どうしようもなく取り返しのつかないところまできてしまった。いまさらどうすることもできない。どうにかするすべなど持たない。
いいや、もう考えたくないんだ。だって、十分がんばった。(いいや、お前は頑張ってない。頑張ったならこんな状況に陥ってない。ちゃんと、ちゃんとした状態になれてるはずだ。だから私はがんばってない。がんばれない人間だ。がんばるちからをもたないにんげんだ。)
それに、そういうこと、今までの人生で考えずに生きてきた。自分がどうか? なんて・・・そんなこと考えたことないから、わからないよ。考え方を知らないよ。なんで今更そういうこときくの。なんでもっと小さいころからその考え方に慣れ親しませてくれなかったの・・・もう今更だよ。

そんな人からみた合議制の風景

・・・しかし、この人たちはなんだ?
なにやってるんだ?
この目の前で行われていることは、一体なんなんだ?????

もう無理だよ。どうしようもないよ。そう思うでしょ。どこからみてもそうでしょ。無理なことをなんでやるの? 時間の無駄だよ。なんでこんなもうこれ以上どこにもいけない自分なんかに時間を使うの? やめてよ、なにも返せないよ。

でもこの人たちはやめない。
『脳漿を絞る』とはこういうことだと言わんばかりの物凄い顔して、取り組んでる。
何に?
「わたしをとりまいているもんだい」に。

なんで?

わかんない。

わかんないけど・・

・・・

あ、ちがう、そこちがう。
そこはそうじゃないんだってば。
ああ、ちょっと違ったニュアンスのまま話が進んでしまっている、ちょ、まって、

「あの、ちょっといいですか。さっき話してらっしゃったそこのことなんですけど、自分としてはそういう感じじゃなくて・・・」

というふうに・・・

↑みたいな感じで、参加させられてしまう感じなんだ。
うずうずしちゃう。

自分にはもうカンケーないね、ってそっぽ向いて腕と足組んで、だんまり決め込んでた人であっても。

天岩戸がひらく。

ここでふとわく疑問

でも、なんでだろう。
似た状況はいくらでもある。

たとえば、
非行を行なったとされる少年が。
いじめの首謀者とされる少女が。
三者面談で、めのまえで、複数のひとが、喧々諤々と自分のことについて、話してる。
そんな状況と、客観的には似てる。

でもこれ、絶対に似て非なる状況だ。
全然違う状況だ。
根本が違う。

なにが違うんだろう。

今思いつく限りでは、やっぱり
「人が問題ではない。問題が問題なのだ」
「その人自身に自分の人生を生き抜いていける資質、資源、能力が必ずや存在している」
ということを、その場にいる全員が了解して、かつ、絶対に手放したりしない信念として、信じているっていうことじゃないだろうか。

(↑のカギカッコ内の出典:国重浩一『ナラティヴ・セラピーの会話術』)

そして、脱線

はあ、これ、完全に、中学生に見たときのアニメだ。。。
すっごい号泣したんですよ。
見終わって、布団に潜り込んで。
でもなんで涙が出るのか全然わからなくて。
自分のなかのどの琴線に触れたのか、謎すぎて。
別にとくべつ共感するような出来事ぜんぜんないし、って。

こうして未来で共感することになるから、そのときそんなにも揺さぶられたんだ、きっと。
ふひー、ライプニッツのモナド論に説得力が出てしまう!!!!!

・・・そして、いま改めてちょっと見てみたら・・・。
うわああああ。
これは、これは・・・。

あまりにも言葉のひとつひとつが、ナラティヴだ。
ここで敵と戦っている情景は、ナラティヴによってセラピーされていく過程のメタファーだ・・・!! おそろしいほどに・・・!!!

いや、すみません、ちょっと言葉が大きすぎた。
「上で私が書いた、今回、合議制の会話を体験して感じたこと」のメタファーです。そのものです!!

.hack//SIGN 第25話 Catastrophe(カタストロフ)14:07〜

教会内で、敵に取り囲まれる司たち。
主人公・司は、仲間の昴とともに物陰に隠れている。
他の仲間は、敵襲に応戦している。

男剣士「司、昴の防御力を上げろ!」
司「・・・ぼく・・・」
男剣士「お前がやらずに誰がやる!」

防御力を上げる、回復する。
そういった支援魔法は呪紋使いである司にしかできない。
しかし司は戸惑うのみで、剣士の声に応えることができない。

司=語り手。その他の登場人物=質問者。
これは、語り手の前に立ちはだかる何か(共通の敵? ディスコース?)にみんなで取り組んでいる状況。
でも、まだ語り手自身は、その何かに直接向き合えない。問いかけに対しても、「まあ、はい…」とか、そんな返答しかしていない。

昴「・・・出ましょう!」
司「え?」
昴「あれがこっちにまわったら、私たちに逃げ場はないから。少しでも選択肢を増やすために」
司「選択肢・・・」

昴=代表質問者。
今と違う場所に立ってこの状況を見てみること、視点を変えてみることを提案する。(問題の外在化?)
そして、選択肢はひとつではない可能性もほのめかす。

司「わかった。でも、出て、どうする?」
昴「あなたが望むように」

視点を変えた先で、なにを語りたいのか。
それを決めるのは、語り手自身。

司「ミミル、聞こえる?」
女剣士「何!?」
司「昴とここを出る。援護して!」
女剣士「りょーかい!」

語り手は、自分もこれに取り組むことを決める。
同時に、まわりに助けを求めることを自分に許す。
たった一人でなんとかしなくてもいい。
自分は、これに取り組んで生きたい。
だからどうか、手を貸して欲しい。
そのように発語しはじめる。

出口近くまでたどりつく司と昴。
司は、ふいに振り返る。
するとそこには、危険を顧みず、ボロボロになりながらも、敵に挑み続ける仲間たちの姿があった。
司の頬に、一筋の涙がつたう。

語り手から見た質問者たちの光景。
自分のために、ものすごく汗水たらしてくれている。
その光景そのものが、語り手の心を癒し、ほどいていく。

司「こんなの・・・」
昴「司?」
司「昴は、ぼくの後ろにいて。ぼくが・・・。(戦う仲間に向けて声を張り上げる)回復役は、ぼくが引き受けるよ!」

積極的に対話に参加し始める語り手。
自分しか知り得ぬ情報、押し殺してきた気持ちなどを、開示していく。

敵との攻防が続く。
しかし、倒せど倒せど無限に復活してくる相手に、疲労も限界に近づいていく。

男剣士「ここまでか」
女剣士「まだ戦えるよ!」
男剣士「しかし・・・」

一歩、足を踏み出す司。

司「みんな、逃げて。」
昴「そんなこと!」
司「平気。ぼく、痛いのは慣れてるから。僕は、忘れないから。だから。何があっても、リアルに帰るから。・・・逃げて!」

これは、他でもない自分こそが・・・自分にしかできないことだ。
あいつとの結末を、この手で、どうにかできるのは、最終的には、自分しかいない。
もう、大丈夫。もう自分は、あいつに対して、恐れず、くじけず、痛くても、立ち向かっていける。
・・・いいや、くじけちゃうときはあるかもしれない。そうしたら、また話をきいてくれる?
ありがとう、ここまで話を聞いてくれて。・・・すっきりした!!

そんなふうに、対話は幕を閉じる。

あらためて神アニメだと実感する

こんなかんじですねーー。ふあーー。

はあ、やばい。なんだこのアニメは。
神か。
神だ・・・。

はあ。
『.hack//SIGN』って、「かつて世界に背を向けた少女が、再び世界と向き合うことを選ぶまでの物語」だったのですねえ・・・。18年越しに真に理解したわ・・・。

もう私、こういうアニメとか歌とかをより深く味わうために、生きてますね。
なんでしちめんどくさい社会に出るかって、そこでいろいろ大変な思いしたらそれだけ過去に大好きだった作品がより味わい深くなるから・・・。

しかもさあ、ここで流れるBGMが『open your heart』って言うんですよぉ……この作品においてこのBGMが初めて流れる場面がここなんですよぉ……なにそれちょっと出来過ぎじゃん? 何この作品。神か。

この発見に至るために私はこの10年間、ライブに通い続けて毎回クライマックスで盛大に演奏されるこの曲を聴きながら毎回ボロンボロンないていたのだな・・・。

で、いまちょっと気づいたんですけど、この回のあらすじ!

第25話 Catastrophe(カタストロフ)
様々なfieldを越え、執拗に司を狙う『偏在する意志』。「回復役は僕が引き受けるよ」戦いの中、いつしか司は『本当の仲間(パーティ)』の一員になっていく。

↑で戦ってた敵は、『偏在する意志』だそうですよ!!!
え、それってものすごくディスコースっぽくないですか????
誰の意思なんだかわからんけどつねにつきまとっては自分を痛めつけたり縛ったり行く手を阻んだり恐怖を与えてくるもの!!!

自分の人生の当事者でなくなってしまうこと

いやー、なんか、ありますよね。
自分が、自分の人生の当事者になってない感じ。
私自身がそうだったこともあるし、
そうでなくなったころに、過去の自分と全く同じように、その状態になっちゃってる人を見たこともある・・・
そういう状態って、「だめなやつ」って言われやすくて・・・
でも、もうこういう状況になってから「自分のことなんだから自分でなんとかしないとだめでしょ」って喝を入れてもらえても、その言葉が響くレベルにもはやいないときもあって・・・
怒りも悲しみももはや感じない、「虚無」ってかんじの。感覚が麻痺してる感じの。

うん、そういう状態の人ってあるいみ1対1のカウンセリングはつらいかもしれない。
だってもうなにもない(と思うしかないところに追いやられてる)から。
「出して」って言われても、「いや出すものなんにもないです」だし
「そんなはずない、なにかあるはずよ」って優しく言われても「(ごめんなさい、ないんです。ごめんなさい、出せなくて。ごめんなさい、わたしがこんなせいで、勤めを果たすことができないという無力感を感じさせて。)」ってなる。

そういうときは、この合議制がとてもあってる気がする。
初回は全く喋らなくてもいいくらい。
そういうバラエティ番組を見てるくらいの感じで。
(でもそのバラエティ番組のテーマやタイトルが「自分」っていう不可思議さ。そこからって、始めやすい気がする。)

私は「だって禁止」ルールに懐疑的である

またちょっと話が変わるんだけど、ふと思ったので・・・

「だって」禁止ルール、あるじゃないですか。
できない理由を探すなっていう。
いかにも正しい。いや、基本的にそれは正しい。まっとうだ。
でも、「だって」という言葉を取り上げられたら、もうなにも言葉を生み出せなくなる状況に陥ってるひとだっているんだ。

だってを言っちゃいけない。
であれば、このように言わなきゃいけない。
そうであらねばならない。
そうであれない自分は、まちがいだ。だめな状況だ。このだめな状況から抜け出さなければ。
・・・どうやって??
できないことをやるしかない。
・・・できなくて困ってるのに??

なんだかよくわからない循環エラーに陥るような感じ。

打開策は、まずは「だって」を解禁することなんじゃないか?
「だって」の先に続く言葉から、その人、この地球上でたった一人しかいないその人の、唯一無二の処方箋が、編み出されていくのではないのか???

めっちゃ余談

そういえば、合議制について「簡単に言えば、脳内会議のようなもの」という表現がとてもわかりやすかったのですが、それと同時に思い出したのは『脳内ポイズンペリー』という漫画でございました。

めちゃおもろい。私はこの漫画を読んで恋愛漫画を読めるようになった。
かつては、恋愛だけが主題の漫画を読んでいると主人公の言動が意味不明すぎてイライラして途中で投げ捨てる勢いだったんだけど、この漫画の「脳内会議っぷり」を見て、すごく納得した。ああ、かつて見ててイライラしたヒロインの頭の中でもこのくらいのドタバタがあったんだわっておもったら、なんか許せるようになった(笑)
この作品のヒロインの行動も、行動だけ見たら、すっごい意味不明だと思うんですよ。はぁ!? 信じられないんだけど!? とか思うものも多い。でも、その裏で行われてるてんやわんやの脳内会議を見てると、ああ・・・そうなんだね・・・と、ちょっと、親しみがわく。

映画化もしたようだ。(今年、舞台もやってたらしい!?)キャスティングがめっちゃいいね。見てみようかな。

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