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清少納言と藤原定家はナラティヴィスト

https://mystoriatelling.com/rambling-07/

なんとなくこの自分の書いたものを読み返していて・・・
こう、思ったのが・・・

いつかもう。
50年後に生まれる子供たちが。
そのときにはもうあの『花は咲く』すら、その曲が作られた経緯なんて最初からは知らなくて、そんな時代に、ふと偶然、このPVを目にして。そのときの、時間を忘れるような、惹き込まれて、心奪われ、ぽかんと口を開けて、気がついたら曲は終わっていて。いったい今なにを見ていたのだろうと、気がつけば再再生ボタンに手が伸びていて。そんな出会い方をこの曲とすることになる未来の子供達に。なんでわざわざ、そんな、彼は悲劇の青年なのだなんて説明の仕方で伝える意味があろうか。

(・・・いや、もちろんそれは・・・円谷幸吉さんという方もいて・・・なんだろう、こう、全体の反省としての、その象徴としての、そのきっかけとなるような立ち位置に置かれる存在というのは、どうしても、必要といえば必要で・・・。でも、きっと、それはそれ、これはこれ。なはずだ。円谷さんにだって、もちろん苦しく辛い時期はきっとあったに違いないけど、でももっと、語られていない、笑顔で、幸せに包まれた、太陽の光を両手いっぱいにひろげてそのあたたかさを一身に浴びて、受け止めるような、そんな物語にだってなるはずなんだ。)

(ああ・・・伝記って、伝記で何を切り取り、どこをどう描いて、どんなストーリーにするかって・・・すごく重要だ。)

(というか。というか。・・・私たちは、私たちは本当にこれを、枕草子で、百人一首で、知っている!!! 知っている!!!!)

例えばーー百人一首にはこんな逸話がある。
百人一首の厳撰本ともいわれる『百人秀歌』には、中宮定子の辞世の句が採られているのだ。
後年の定子の心細さを秘めた悲しい和歌ーー定家は百人一首にはこの和歌を入れなかった。
「定子の笑顔だけを後世に伝えたい」
清少納言のそんな願いをはたして定家が汲み取ったか。ーーいずれにせよ、歌集として現在最も世に知られる百人一首に定子の和歌が入らなかったことにより「中宮定子」と聞いて我々が真っ先に思い浮かべる姿は、『枕草子』の定子になった。
その姿はーー時をこえ微笑んでいる。

杉田 圭『超訳百人一首 うた恋い。3』146-147頁より

やば。
清少納言やば。
藤原定家やば。
なにこのナラティヴィストたち。
ちゃんとわかってたんだ。このひとたちは。光の当て方で、編み方で、いかようにも物語はその表情を変えるのだと。その絵巻物の装いは、色合いは、おももちは、変幻するのだと。
うわああああ。
後世に遺るものがその人物像を形作ることは避けられず、であれば何を遺すのかと。
そのうえで、・・・うわあああ。

定家は、
かつては権力にまみれた、志向性のありまくる、不本意な、歌集を編集させられて。
うわーーーーー。
なんかーーーーーーー。
今の時代で言えば、クラウドファンディングでほんとうにつくりたいものを誰の思惑に邪魔されることもなくつくったのが百人一首なんだああああああ。
うわああああああ!!!!!!!!!
ああああああ!!!!

ああ・・・
なんでわたしはこういうものを知っているのか・・・

そうだ、『幻想水滸伝2』だ・・・

しかも、『幻想水滸伝2』の、もう誰が書いたのかもわからない、たぶんもうどこにもない(Webアーカイブスにはもしかしたらあるかもしれない)どこかのファンが書いた二次創作小説だ。漫画だったかもしれない。いや、もしかしたらアンソロジーだったかもしれない。

そのくらいもう、記憶の中にしかない、ひとつの短編。

その短編というのは。
ジョウイが、のちの歴史の教科書に、卑劣きわまる冷徹な指導者として、載っていて。それを見たピリカが、「それはちがう。ジョウイお兄ちゃんは、やさしくて、あたたかくて、ニンジンが苦手で、仲間思いの、優しい人だった! こんなのは私の知っているジョウイお兄ちゃんじゃない!!」って、泣き叫ぶ、そんな短編を、私はどこかで読んだことがあって。

それだー・・・

うわー・・・・

まあそんなわけで私はこのキックスターターを応援しています。(唐突な宣伝でおわる)

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