日課のセリーンマインド瞑想をしていたら、涙がこぼれてきたので、その流れのままにブログを書くことにします。
今感じている感情は何かと考えて、そうだなあ、こう感じているなあ。それを無理に押し込めなくていいよなあ。そうだよね、そう思っているよね、うんうん。と自分に頷いていた流れて、ふと、「あー私って、『どうしてもこれを伝えたい…! 伝えなければならない…!!』という強い想いを抱きながらも、無念の死を遂げたような人も前世にいたかもしれない。ということを思ったら、ポロポロ、ポロポロ、涙があふれてきました。
涙があふれるというのは、「深い気づき」「真なる気づき」のひとつのサインなのだと思います。
ただ、今回思い浮かんだ前世人のイメージって、別に私にとっては特別目新しいものではありません。というのも、中学校の時の私は書かないと気持ち悪くて今日が終われないレベルに、オブセッション的に毎日日記(日々の記録)を書き続けていたのだけど、それを見た友達に「たぶん美里ちゃんは『書かずにはいられない…!』っていう強い想いを持った人の生まれ変わりなんだろうねえ」と、冗談めいた日常会話の流れのなかで言われたことがありました。(1987年生まれの私達はセーラームーンを幼少期に見て育っているので【転生】という概念が、それがおとぎ話的なものであれ、なんとなく身近な感覚としてインストールされているのだと思う。)私はその言葉を「あー、そうなんだろうなー。間違いないな。」ってものすごく自然に受け入れてたんですね。
という意味で、別にそれ自体は私にとっては自明の、というか、既に持ってた意識、ではありました。けど今さっきそれを「改めて深く、自分の人生に起きたことかのように噛み締めた」という体験があったのだと思います。例えるなら、テレビドラマの登場人物の感情を、視聴者という第三者の視点で見ているか、役者としてその人生を自分のものとしてその瞬間味わっているか、のような違いでしょうか。この「単なる気づき(思いつき)」と「真なる気づき」の違いとは。
そして後者が起こった瞬間、癒しなるものが起こります。これが起こると、そこからの日々が少しずつ変化していく。その流れを私は今年の3月末に実感として理解して、きっと果てのないこの旅路を、毎日楽しく歩んでいるところです。そうだね、その例えで言えば、今日のこの体験は、道端にすごく胸打つ野花を見つけた感覚なのかも。
さて本題。
前世とかって、めっちゃスピリチュアル~~って感じだし、眉唾だし、ほんとかよって感じじゃないですか。ロマンもあるし、自分はどんなのなんだろうって興味もわくけど、100%信じ切れないというか。まあ、私はずっとそんな感覚で生きてきました。漫画アニメオタクだから元々そういうファンタジーっぽいことめっちゃ好きだし、エンタメ的に楽しみつつ本人の心の支えのひとつになるなら良い効用のあるものだろうが、それを大々的に打ち出して、それが真実であるとうたいながら、セラピー的なものに活用することにはどうにも100%承服しかねる、という感じで。
だけど最近感じるのが、題名に書いたようなこと。
【前世ってなにも不思議なことではなくて、今この世界にあるすべてのものには過去を生きた人々の想いが宿っていて、否応なく私たちはそれらの影響を受けていく。というたったそれだけのシンプルな仕組みなのだと思う。】
どこから説明するといいだろうか。
たとえば、私は原付ツーリングが趣味なのですが、ちょっと人里離れたところであっても、ちゃーんとアスファルトで舗装されている。これがめちゃめちゃすごいことだなと最近思ったんです。数十年前に、誰かが工事してくれたから、その後も誰かがちゃんと整備してくれているから、こうやってとても滑らかに快適に走ることができる。(砂利道の走りにくさといったらないですよ…!!)
あ、待って、これはちょっと例えとしてズレてました。えーと。
えーと。たとえば、前世で兵士だったビジョンを見た(これもスピリチュアルっぽいワードなのであまり多用したくはないのですが。これは私の体感としては、「小説家が頭の中でインスピレーションとして思い浮べる風景」のようなごく自然なもので、マジカルな要素はないと思っているので、あえて「兵士だったというイメージが思い浮かんだ」という言い回しにしてみたいと思います)として、それって日本に生きていれば、いや、この世界に生きてりゃ誰だって思い浮かんで当然なんですよ。だって、生まれてきてからあらゆる本やテレビや映画でそういうものを見てきてるんだから。
えーと。言わんとしていることをちゃんと表現するのってむずかしいですね。
えーと。たとえば、水木しげるさんの作品。やなせたかしさんの作品。彼らは戦争の体験者で、ほんとうにさまざまな凄惨な体験をその身に受けてこられたと思うし、それによって生まれた想いは、否応なく作品のなかに降り注がれていくはずです。意識的なものもあれば、知らず知らず、非言語的・非可視化領域においても。
そういったことは、大きな文学作品だけじゃなくて、たとえば、自分のおじいちゃん。別に直接戦争の話をされなくたって、その“おじいちゃん”という生命体のなかには、戦時中を生きた悲喜こもごもがたくさん、たくさん詰まっているわけです。そのおじいちゃんと暮らしていると、非言語的・非可視化領域において……つまり、私の細胞さんたちは、相手のいろんな記憶を知らず知らず受け取って(しまって)いるってことなんです。(このあたりは量子力学的な観点、全ての物質はつまるところ素粒子であって、それらは振動しているのだから、共鳴し合ってもおかしくないよねっていう 世界観 です。量子力学はこの本がわかりやすいです。)
そんなふうに、2025年5月現在の日常のなかには、1930~40年代を生きた人、その人たちがつくりあげたもの、ことば、日用品、作品、ありとあらゆるものがある。私が1987年に生まれて今日まで生きてくる中で、ありとあらゆる、過去の人たちの想いが転写された物事に触れて生活してきた。それはなにも1930年代にかぎらず、戦国時代、平安時代、縄文時代……すべての歴史のなかにあった想いを、細胞で受け止めながら生きてきた。(最近、石碑や樹齢の高い木の前に立つと、それらのもつ悠久さに打ちのめされてしまって、「ちょっと石碑とか樹ってまじパネエな」って思う。)
ならば、今まで生きてくる中で受け止めてきたすべてのものが、「兵士」というイメージに編み上がっていっても何らおかしくないなって思うんですよ。自分が直接的であれ、非可視化領域においてであれ、ストックしてきた数々の知識が、あるひとつのイメージとして思い浮かぶこと。インスピレーション。これが、「前世のビジョンを見る」という体験なんじゃないかと思うし、それって全然マジカルなことではないですよね?
いえ、別にマジカルでもいいんですけど。本当に輪廻転生は存在してて、本当に私の前世は真実でもいいんですけど。
なんかこう、私の中で、ファンタジーを素直に信じて浸っちゃいたい気持ちと、それをなんとか現実的解釈によって納得したい気持ちが拮抗していて。抗うのやめてスピリチュアル受け入れて楽になっちゃえよ、って気もするんですが、この抵抗があるからこそ、私はこのような文章を生み出すことができるわけで、それはけっこう楽しいことなんじゃないかと思っているわけです。まあ占星術的に言えば「THE☆水星魚スクエア土星射手!」って感じですよね。そのものズバリすぎてホント笑える。なんてったってオーブ0ですから🤣
2025年4月25日に受けたナラティヴ・カウンセリングでこんなことも話していました。
「ある意味、現実的に分析するのであれば、私自身がナラティヴに出会っているから、そこから翻ってそういうイメージが湧いたってことでもあるかもしれないし。でも私はもともとアニメとか漫画とかファンタジーが好きだから、私自身はやっぱりその「過去世」っていうものを素直に受け取って、こういうこと、こういう無念があって、だけど私の魂がもう一回ここに生まれて、それを引き継ぎつつも、それを解消していく流れにあるんだって思うことは、すごく私としては受け入れやすいというか。逆にそれがあったほうがすごく心に芯ができるみたいな感じがあるので、なんかよかったなーっていう。」(37:32~38:32)
そして、この私の語りを受けてオウルチーム(カウンセラーさんとオブザーバーさんで語り合ってくれる時間)の方が返してくれた言葉に私はとても、なんだろ、うまい言葉が出ないですが、まあ、単純に「うれしい」と感じまして。
「これを現実的な理解をするみたいな話もあったけれども、そういう過去世からのものなんだっていうのが、それは自分の中に芯がひとつできる感じのものなんだっていう。僕は、こういう話をするのにすごく躊躇してしまう世の中だなと思っていて。それがちょっとこう現実的でないっていう理由によって…と思うんですけど。なんていうんですかね、「現実的か?」みたいな基準は、どこまで必要なんだろうっていうことを考えていて。その持ち方が大切だったんなら持っていてほしいな、っていう気がしながら、聞いていたのと。」(48:25~)
もっていていいんだー。うれしいねえ。
もっていていいし、それを「そうなんだね」って聞いてくれる人、場、のあるうれしさとこの世界を生きることにおける安心感ですよね。はー。私はもうこれに出会ったおかげで、これの場所があるおかげで、世間の荒波に何度でも果敢に立ち向かっていけるですよ。こういう場所が人には必要なんですよね。私もこういう場をつくりたいんだぞーー。
まあそんなわけで、私は、「伝えたい系キャラ」「書き残したい系キャラ」に本当に弱くて。キャラっていうか、実在の人物であっても。先日、Eテレの「先人たちの底力 知恵泉」の水木しげるさん回をみて、『総員玉砕せよ!』の話にものすごく心打たれたし、先日観に行った舞台「フロイス -その死、書き残さず-」も、フロイスの書き遺し執念本気ですごすぎると思うし、朝ドラ楽しみすぎるラフカディオハーンもそうだし、(結構日本って、海外の人が書き残してくれたから当時の状況が克明にわかるパターン多いよね、ありがたすぎる)よしながふみさんの大奥の没日録もそうだし、山田尚子監督のTVアニメ平家物語の主人公の気持ちとか、チ。の登場人物なんて言わずもがな、ほんとうダメです心にキすぎて。
そんなところかな!!
秘めた意志 急かす未知
受け取って手渡すこと
身を焦がした この好奇心が
身を滅ぼすと 知ったとしても
消えたりしなくて どうせ灰になるなら いっそ書きとめて
(略)
駆動する鼓動 残さず遺す
胸の奥の方 胸の奥の方
(amazarashi 『カシオピア係留所』より)