昨日寝る前にふと思い出したのだけども。
体調崩して退職するってなった頃に感じてたことなんですが。
ひとりでがんばりすぎ。とか。
よわみをみせることがひつようだよ。とか。
言われてたんですね。
(これは優しさからくる言葉だっていうのは、わかってます。十分。でもちょっと私の言い分・・・というか、その時考えていたことを書かせてください。)
私としては、今回、私のこれまでの人生では本当になかったくらい、人に話を聞いてもらっていたんですよね。複数の人に、なんども。それまでの自分なら、人の時間を割かせるなんて申し訳ないと思って、ひとりでなんとかしなきゃとしてたところを、お金まで払わせて、先輩や同僚に、ごはんがてら話を聞いてもらったりしていたのです。
それでもなお、体調は崩してしまったし、一人で抱え込みすぎだとまわりから思われてしまった。
「てことは、私の相談の仕方が下手だったんだ。私の『話の聞いてもらい方/相談の仕方』は不十分で、これだけ人に話を聞いてもらっていたなら、ちゃんと解決に向かうような、正しい相談の仕方というのがきっとあるんだ。みんなはそれができていて、私にはそれができないんだ。じゃあ、正しい相談の仕方を学ばなければ。(私は社会人10年近くなっても、ホウレン「ソウ」すらできないんだなあ。。。いや、嘆いても仕方がない。今日ここから。いまからできるようになればいいんだ)」
などと思っていました。(ちなみに、最後のポジティブマインドへの切り替えは、よいことのように見えて、これをやりすぎるともう、摩耗ですね。もう、そういうポジティブ変換エネルギーみたいなのが、とうの昔に尽き果てて、リチャージもされないまま、カスッカスになってるものを奇跡的に空吹かしさせてるだけで・・それはいつか限界がくるし、やればやるほど、重病になる。倒れた後の回復に時間がかかる。だってもはやマイナスの域なんだもん。ゼロに戻すのにすら一苦労)
正しい相談の仕方、とそのとき考えていたのは「現状こうです。問題(ネックとなってること)はこれです。これを解消するために、このようにできればと考えているのですが、それは可能でしょうか?」みたいな。現状把握、問題特定、改善案/打開策。を作った上で話しにいくこと。それができねーーんだよーーってなってた。そもそも現状を整理する時間もないっていうか、時間がないというか、それやろうとしたら頭がフリーズするというか。ぐちゃぐちゃすぎてなにがなんだか、って。でも、そんな大して難しいことやってないはずなのに、それでこのキャパオーバーってちょっとダメすぎない?って。
(うん、客観的に・・例えばスキルシート的に、一番易しいところに分類されてる作業であっても、”自分にとって”それはどのくらいの難しさなのか、いつからその難しさがやってきたのか、その難しさが自分にどれほどの影響を与えているのか・・・を明らかにしていくことが大事だったんだな。)
弱みを見せる、ということに関しては。たしかに、できてなかったと思う。だってそれをやるとしたら「もう何が問題なのかわからないです。自分で考えるのもう無理です。(かわりに/一緒に考えてください)」になる。それはさすがにないわーと思ったから。なんでないと思った? 社会人1年目の子だってもう少し考えるでしょと。
うん、あのー、転職して、自分的に給料が跳ね上がってたことがすごいプレッシャーだったんだよね。私の年齢の平均年収よりは全然下だけど(※その会社の給与が低いって意味じゃなくて、入社時に私と会社が合意した額がそれってこと)それですら私にとっては大金すぎて。しかも社会保険完備で。私は何一つ、できることも何一つ変わってないのに。その額に見合う働きをしなければならない、つまりは今まで以上のバリューを出さなきゃいけない、でもそれが全然できてない(むしろ逆転してる)ってところで・・・。
その生真面目さがよくないって? たしかにそれで自分を追い込んでるという意味ではよくないけど、でも、この私のクソ真面目さは、抑制すべきものなの????? 本当に???????? じゃあこの私の天性のクソ真面目さはなんのためにあるの???? 刈り取られるためにあるの?? アポトーシスなの????
・・・今思うのは、クソ真面目さを発揮するにはその業界・分野に興味がなさすぎたっていう悲劇だなと思います。
あと、私は周りからよく真面目だと言われるんですが、自分ではまったくそうだとは思いません。真面目なら、上みたいなこと考えないでしょ。きちんとやり遂げるでしょ。って思う。・・・ってことで、「真面目」っていう言葉にもいろいろあるわけで、そこももうちょっと精密に、考古学者が丁寧に化石の輪郭を探し当てて行くように、もっと違う表現を探した方がいいですよね。
なんかもう、30超えて今更なに考えてるんだろうって思うけど、本当はこれ学生時代に考えておくべきことだったと思うけど、その時間私、歴史の年号覚えることとかに一生懸命になってましたからね???? 「5教科満点とってればしあわせをくれるんでしょう?」って本気で思ってたからね???(あまりに浅はかだったけどね????)だから今更だけどちゃんと考えるよ。そして私は同じ轍を踏ませたくはないと心底思うよ。
あとは、よく自己啓発本に「自分の力量よりもちょっと上の仕事を恐れず受けて、がむしゃらにやり遂げることが成長につながるのだ」ってあるけど、私はもうこれやーめたって思っております。このやり方が向いている人と、向いていない人がいると思うんだよ。みんな一律この成功法則にのっとろうとしなくていい。ましてや「できない自分はだめなんだ」なんて、思う必要あるわけない。
小学校の体力テストの、例えばソフトボール投げで、自分は8mくらいしか投げられなくて、あるクラスメイトが余裕で20m以上飛ばした時、「わーすごいなあ〜〜」って思ったじゃん。もうそれでいいんだ。そこで私は「20m投げないとだめなんだ、その半分以下の自分なんて落伍者だ、生きてる価値ない」なんて1ミリだって感じなかった。それはその分野を伸ばすことに全く興味ないからだ。それは私のフィールドではない。
こっちの考え方のほうが、全然すき。
信用をスピーディーに貯めるためには、求められた仕事に対して必ず相手の期待値に20
%上乗せしていくことが重要だ。
逆に言えば、自分の思考と知識の限界から8割レベルで十分な成果を挙げられる仕事を選ぶことが上司やクライアントへの誠意だと思う。
(正直、前半のようなことももはや考えたくないんだけど、この文章はこの文脈であることが必要かな・・・と思ったのでそこも含めて引用。)
今、気持ちにゆとりをもって業務にあたれるのは、この状態に近いからだろうな。今、月80時間しか働いてないから物理的に時間に余裕を感じられるのも勿論だけど、業務内容がこんな感じであることも大きいんだろうな。それで時給換算すれば前職とそんな変わらないので・・・それでいて、報酬に対するプレッシャーもそんなにないっていうか。相当ホワイトさんですね?? こんなにいいんすか??って気持ちはもちろんあるけど、でも、求められていることをきちんと私は返せてるって自信も今回はあるから。・・・あ、あとは切られたら切られたでいいやって思ってるのも大きいかもしれない。うん、「私にはここしかない。ここでだめならもうどこにも行くところがない」って思っっちゃってるときって危ないよね・・・。まあ、ほんと、お金稼ぐための労働は無理してまでやるもんじゃないわ。うん。
私、こういう「泣き言」と評されてもしょうがないものを外に出すのは、本来すごい忌避してたんですね。理由は、「かまってちゃんかよww」ってどこかのだれかに内心思われるのがすごく嫌だったから。
でも、こういうことを140字どころか、こんなにも長々と書き始めることができるようになった・・・というか、別にどっかの誰かにそう思われようともやろう、と思うようになったのは、リフレクティング(OW&Rチーム)のおかげなんですよねえ。
あとは、当事者研究という言葉を最近知ったのです。当事者、つまりは悩んでいる人とか、症状が出た側が、そのときどういう状態でなにを思っていたかについて書かれた文章にはそれなりに需要(?)がある・・ということだろうと、私は認識したのですが。(まあ、そりゃそうだよね、精神的解剖というか。)なので大腕を振って書くのだ。
でも、例えば…そういう、書くことが、できなくても全然良くて。私は書きたいから書くし、書くことがどうってことないから書く。書くことがどうってことあるなら、無理に書かなくていい。それをすることができない自分を責めなくていい。これは自然にできるようになるものだから。ていうより、「しても大丈夫なんだな」って思えるような、ほわ・・っと胸の中に感じられるものを、外から与えてもらったからできるだけ。その「ほわっ」は、言葉を外に出すという行為を実行するために、必要不可欠な部品。だから、まだそれが与えられてないなら、与えてもらうのが先。だってそれがないと本来はそもそもできないことだ。そして、ここがとても重要なことなんだけど、「ほしい」「ください」っていうことを、あなたは外に求めていい。
ただし! ここも重要なんだけど、誰彼構わず「ギブミー!」って言うのは控えておいたほうがいい。なぜか・・というのが、ちょっとまだうまく説明できないんだけど、その辺にいる人にそれを言うと「はぁ?」って返される可能性が高い。(世知辛い社会や・・・。)せっかく勇気を出して、意を決して「私は欲しいのです」と表明したのに、それを無下に断られたら・・もう、悲しすぎて二度とそんなことしたくなくなるよね。「やっぱりな」って自嘲するしかない。それは、あまりにもったいない。勇気の向けどころってとても大事なのだ。
じゃあ、誰ならいいの? って話だけど、「ナラティヴ・セラピーを学んでいる人」であれば、大丈夫な可能性が格段にあがる。もちろん、これに当てはまらなくても大丈夫な人もたくさんいるんだけど! 今話しているのは目印の話。わかりやすい目印としては、それ。で、もっと、もう絶対に確実に大丈夫な人に会いたい!!と思ったら、NPACCへGOだ!
・・・・回し者か!!笑
回し者ではないよ!! むかしっからハマったゲームとか漫画とかすごい熱烈に狂信者的にまわりに布教するから絶対に「回し者か!」ってなっちゃうんだよ私ハハハ。
うん、もちろんこの他にも絶対に確実に大丈夫な場所/人っていうのは色々あるんだろうけど、私が、自分自身も体験したところで、間違いなくおすすめ!!と言えるのが、NPACCなのです。体験談的なものも書いてるので読んだってください。
なんだか何の話だったっんだっけ?って感じになってしまったところで終わる。
ためし読みが結構膨大な量で公開中? かな?
いい意味でタイトル詐欺で、おきにいりの1冊。本当は山口揚平さんの著書をぜんぶまとめて感想書く記事とかも・・・4月くらいからずっと書きたいと思って書けてない・・もっと素敵な言葉(思想)がいっぱいあるんだ本当は・・上に書いたのは本当に、私にとっては枝葉の言葉で・・・もっといろいろ・・・あるんだ・・!!