2020年3月21日に、私はナラティヴ・カウンセリングを受けました。そのときの会話の中で、カウンセラーさんに「『普通じゃなくちゃいけないんだよ』というような考えが社会にあるために、あなたの大切な部分・必要な部分が、ないがしろにされたり、追いやられてしまったことが、あるでしょうか?」というようなことを問いかけられて、「具体的にそれが何かはわからないけど、あるような気がする」と答えていました。
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そこからまた数か月の療養の日々(家でのんびりと過ごす日々)のなかで、「子どものころ好きだったこと・自然と夢中になってやっていたこと」ってなんだったかな、とぼんやりと考えていくうちに、「それは、歌だったのではないか」と思うようになりました。3歳からヤマハを習って、小学校に入ると夏休みにはアニーやセーラムーンといったミュージカルを観に行って、地元のアマチュアミュージカルのオーディションを受けに行って、4年生になると合唱部に入って、中学生からは合唱団に入り、カラオケでは大好きなアニソンを歌って……。おやおや、こうやって思い返すと、けっこうな歌三昧な10代を送っているではないか、私、と。
「演じる」ということも好きで。中学生のころは、自作の台本をつくってアニメに声をあてるアフレコ遊びを毎日のようにやっていて、高校では演劇部に入ったし、声優学校のオープンキャンパスにいったりもした。(入る気持ちは一切なく、ただアフレコ体験がしたかっただけという、完全なる冷やかし。)あ、そういやジャズダンスも習ってた。うーん、思い返せば思い返すほど、結構いろいろ、やってたんだなあ私。
でも、学生のころは「いい大学に入っていい会社に入る」ということしか頭になくて、歌とか演劇とか、そんなのを将来のこととして選択肢としていれることはおろか、「なりたい」という気持ちが浮かぶようなことは、一瞬たりともなかった。ここまで色々やっておいて、不思議なくらいですが。そのくらい、「私の未来とはいい大学に入っていい会社に入ることなのだ」っていうのが、もう絶対的確定事項で、それ以外のものはないっていうのが、なんかもうプログラミングされてるレベルで、一切の疑問なく「そういうもの」って感じになっていた。だから、とにもかくにも勉強第一、それ以外のものはすべて、本質的にはいらないもの、とそんな思考回路で生きていた。
でも、じゃあもし、幼少期から10代にかけての、そういう“プログラミング”が私になかったら? 私は、もしかしたら、そういう「表現活動」的なことをやりたがるような人だったのでは? そういうものをめざしてみたいと魂をもっていたのでは? と、そんなことを考えるようになった。
考えていたら、2020年の夏ごろのある日、偶然とある広告で「ライブ配信」というものの存在を知り、そこからVTuber的な活動が始まっていった。
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それを1年ちょっとやってみて、今思うのは
- この1年間で、10代の時に本当は取り組みたかったことに、全力で取り組んだ。当時ほんとうなら得たかった・得られるはずだったのに、取りこぼしていたもの。やり損ねていたこと。それらをこの1年間で思いっきり凝縮してやり直して、取り戻した。取り返した。そんな時間となった。
- 今の私の中に「表現活動」的なことで食べていきたいとか、大きな舞台に立ちたいとか、沢山のひとに自分の表現を見てもらいたいとか、いわゆる「アーティスト願望」のようなもの、そういうものは「ない」ということがわかった。その結果、「それよりも、やりたいのは別のことだ」ってことが、はっきりと浮かび上がった。
- この1年の活動で、思いっきりやりつくして、満足したような感じ。私の中で地縛霊(地縛思念?)となっていた「歌とか演劇とかそういうものがやってみたかったんじゃないか(それが私はできなくさせられた)」という未練を、この1年間の身体を譲り渡して、思いっきり試させてあげた。その結果、「あ、なんか、そういうものとしてスポットライトずっと浴びていきたいって気持ち、特になかったみたい~。この1年にできたこと、受け取ったもので、満足した~。ありがとー!ばいばーい!」って、成仏してくれた感じ。
- 表現活動的なものは、あくまでも趣味として、何にせかされることもなく、自分ための楽しみ・安らぎとして位置付けるのが、収まりどころがいい。そのくらいが、自分にとって心地よい温度感・距離感であることがわかった。
- 特に「歌」は、自分のにとってのこころの癒しとして必要なものであるということ。他人に喜んでもらうための手段にもしたくないくらい、自分の中の聖域として、自分の中だけで大切にしたいもの。それと同時に、「歌であれば伝えられる」というような、ひとつの「私の意思表示の手段」にもなりそうだということ。
こんなかんじです。
ひとつ思うのは、「今の私」は別に全然アーティスト願望はないけど、「かつての(もしプログラミングがなかった場合の)私」がどうだったかというのは、もうわからない、わかりようがない、ということです。
「今の私」にはどうしたって、ここに至るまでの色んな出来事・学び・出会いがある。特にそのなかで「生きづらさに取り組む」「ナラティヴを広めたい」というのはとても大きなもの。だから、それに取り組まないことは、今までの歴史を歩んできた自分とっては、もはやありえないこと。それゆえの、さきほどの結論です。
「もしプログラミングされていなかったら」の私は、幼少期のころから全く違った行動をとって、まったく別の出会いを経験し、結果きっともう全然別の価値観になり、その価値観のもとに、ものを感じ、選択していくのだろうなって。だから、その場合の私は、もしかしたら「舞台上で夢を演じ続けることこそ私ができる一番の世界平和への貢献」っていう考え方になっている可能性だって、あるかもしれない。
つまりもう、今の私は、そんな仮定の私とはスッパリと袂をわかった、今の私という存在なんだなあ……と。今の私は、「今の私ができる世界平和へのいちばんの貢献は、ナラティブを広めること」だと思っていますから。そんなかんじです。