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あなたのものがたりをどうかきかせて

約1年前のこと
生まれて初めて
心の底から他者を憎んだ
「何があろうと絶対に許せない」と

のうのうとご飯を食べていることも許せないし
さっさと安息の地に向かうのだって許せない

『前途ある若者が一瞬にして未来を奪われ』
涙ながらにそう語る人たちの心を
初めてほんとうに理解した

一般常識にあてはめれば
あなたの言い分を聞く人なんて
もう日本にも世界にも
きっと一人もいやしない

救いようのない極悪人
ウィキペディアに記述されているとおりの人でなし
あらゆる人がそんな眼差しを向けるだろう

そうしてあなたは口を閉ざし
あるいは怨嗟だけを繰り返し
結果、すべては、闇の中

あなたの見てきた世界
あなたの歩んだ道のりは
血塗られた憎しみの物語として
戦後最悪の死者数を出した殺人事件として
未来の教科書に載るのだろう

あんな悲劇を引き起こしたあなたのことを
私は一生涯、許せないし、許さない

だけど、
それでも、
私はあなたと同じ靴を履く

「私は あなただったかも知れない」と
そう思うから

私だってかつては世界を恨んでいた
その気持ちが内へ向くのか、外へ向くのか
たったそれだけの小さな違い

ゆえに、
私はあなたの傍に立ち
あなたと手を取り合って
途方もなく強大で厄介な共通の敵に
肩を並べて立ち向かおう

だって、
あなたが手にかけたあの人たちは
弱々しくも愛を紡いで、必死に希望に手を伸ばす
人の強さをえがいていた

許さない
あんな悲劇を引き起こすようあなたを仕向けたものを

許さない
だから、どうにでもなってしまえ?

ちがうよね、

許さない
だから、どうにかしなきゃならないんだ

私たちはあらがいたい
私たちは屈しない

参考

※太字は私によるもの

「誰かの靴を履いてみる」

「試験って、どんな問題が出るの?」
と息子に聞いてみると、彼は答えた。
「めっちゃ簡単。期末試験の最初の問題が『エンパシーとは何か』だった。(略)」
得意そうに言っている息子の脇で、配偶者が言った。
「ええっ。いきなり『エンパシーとは何か』とか言われても俺はわからねえぞ。それ、めっちゃディープっていうか、難しくね? で、お前、何て答えを書いたんだ?」
「自分で誰かの靴を履いてみること、って書いた」
自分で誰かの靴を履いてみること、というのは英語の定型表現であり、他人の立場に立ってみるという意味だ。日本語にすれば、empathyは「共感」、「感情移入」または「自己移入」と訳されている言葉だが、確かに、誰かの靴を履いてみるというのはすこぶる的確な表現だ。

(ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』)
https://www.shinchosha.co.jp/ywbg/chapter5.html

「あなたが彼だったかもしれない」

ある時点で彼を異質と見なさず
彼も異質であると感じなかった

彼はただの一人の人間で
そこに深い違いはない

そのことが非常に重要です
それが倫理です

倫理とは”異質”という錯覚を
「あなたが彼だったかもしれない」
という事実に転換すること

私は今の自分になったが
あなただったかもしれない

「私は あなただったかも知れない」
これが重要です

(欲望の時代の哲学ガブリエルNYドキュメント第四夜「私とあなたの間にある倫理」)
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2020106396SA000/

世界を恨むきもち

他者との相対的な関係で自分のことを考える私たちは、この世のどこかに「掛け値なしのやさしさ」を享受している人がいるのに、自分にはそれが与えられないことを知ると、とてもつらく感じる。

容疑者は、アニメで描かれた「この世のどこかには掛け値なしのやさしさがある」というメッセージに勇気づけられたり、元気づけられたり、励まされたりはしなかったのではないだろうか。架空の存在が「やさしさ」を交換しあっている姿ですら、自分のみじめさを相対的に浮き彫りにするものであるかのように感じたのではないだろうか。それほど容疑者は「やさしさ」に飢えていたし、「やさしさの与えられない自分」に苦しんでいたのかもしれない。

人は「やさしさの不在」ではなく「やさしさの偏在」によって深く傷つく。時として「やさしさ」が自分に与えられないことを恨む。

(凶行から垣間見える「やさしさの偏在」)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68498

「そのこえ、聞きたくて」

(写真素材:Miyako9さん)

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