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2020年初頭における私の願文

これは、2020年の4月ごろに書いた文章です。

2020年初頭における私の“願文”

目次

わたしのむねのうち

今までずっと「稼ごう」「価値ある人間になろう」と躍起になっていました。端的に言えば、優生思想にとらわれていたのです。大学受験には失敗したけど、それ以降紆余曲折を経つつ、なんとかギリギリ「優」の側に入った人生を送るのだ! と、根底にそのような思いを抱えーー結果、鬱に倒れました。

ここから先のことは、まだ、うまく言葉にまとまっていません。が、私は私が欲するものを求めていいし、ひとりひとりが、周囲の環境や社会から押し付けられることなく(少なくとも、押し付けられていることに自覚的になり)自分を抑圧して苦しくなることのない、ひいては、この世界を見限ることのない、そんな方向に、進めていけたらと思っています。

また、ここには、けっこう赤裸々に自分の脳内を外だししています。それは、藤原 麻里菜さんの本を読んだことがきっかけです。個人的な思考を外に出すことが、自分の世界を生きやすくするのだといった旨の文章に、感銘をうけたからです。ひた隠しにしていたヘンテコな自分を、あえてさらけ出すこころみです。

大切だと思うこと

自分の本音に頷いてあげる

いちばん深いところにある自分の本当の気持ちに耳をすませて、「そうだよね」って、ちゃんと聞いてあげる。大人として、世界との折り合いをつけるなんてことは、もっとずっとあとまわしでいい。他のなにを置いても真っ先に、私が私にしてあげないといけないことは、まっさらな本音を、苦しみを、叫びを、存分に吐き出させてあげること。それらを否定しないこと。

立派になることに一生懸命にならない

市場に美しく陳列されているお野菜のように、綺麗に整え、品種改良して、選ばれるものになろうと、一生懸命にならなくていい。でこぼこでも、ひん曲がっていても。土の中から掘り出されたときの姿形と味わいを、どう生かしてやろうか、どんなふうにしたらいっそう映えるだろうかと、考える。いきすぎた努力に、苦しまないで。研鑽と摩耗を、間違えないで。外側からの要請に応えすぎて、自分を消してしまわないで。

こんな生き方がしたい

場所を問わずにできる仕事

基本的にリモート作業で、どこにいても(外国でも!)仕事ができて、必要があればどこかに出向くような形が理想。避けたいのは、毎日のルーチン出勤と満員電車。

最小限の静かな暮らし

四角大輔さんの「物々交換(スキル交換)」や、山口揚平さんの「時間のやりとりをベースにした、人里離れた小さなコミュニティでの自給自足のような暮らしがしたい。ゆったりとした時間の流れのなかに身を置き、五感を満たしながら、1日1日を大切に過ごしたい。

たまには世界をめぐる

国際ボランティアやピースボートなどで、世界を体験しにいきたい。まだ見ぬ世界や体験を、この生身の身体で感じ取りたい。

やってみたいこと

1対1でじっくりと話をする

ナラティヴ 的な態度でゆっくりじっくり相手のお話を聞きたい。他ではなかなか話すことのできないモヤモヤを、吐き出せる場所。そして、ほんのちょっとでも、そのモヤモヤを晴らすお手伝いを、してみたい。

隠れ家のような場所をつくる

心が疲れてしまったときに、ぼーっとして、「ただいる」だけをあたりまえに許されるような、静謐な場所を提供したい。膨大な情報からも隔離されて、ただ自分との対話だけがある。時間と空間からも解き放たれた、どこでもない場所。お腹がすいたころには、美味しいごはんとお味噌汁がどこからともなくそ…っと差し出される。できれば、お金もいらない。そんなことしなくたって、なにもしなくったって、あなたはあたりまえにここに(そして、この世界に)いていい。っていうことが、言葉じゃなくて、身体に沁みわたるように、実感できる場所を。

ゆめとうつつのあわいに棲む存在になる

とてもわかりやすくいえば、Vtuberになってみたい。この肉体を離れた自分として、仮想現実の中を生きてみたい。それを遊びとかエンターテイメントではなく、至極真面目に、本気で、新たな「在り方」のひとつなのではないかという仮説のもと、実験のように、試してみたい。

今(2022年12月)に改めて読み返してみて

まずは単純に、こんな文章をよく書けたなあ、と思う。この時にしか書けなかった文章だなって。(まあ基本的に文章っていうのは「その時にしか書けない」「その時だからこそ出てくる言葉と表現」だとは思ってる。感情や思想は移り行くし、その日その瞬間だからこそ降りてくるものもある。だからこそ私は、そのときそのときの自分の言葉をきちんと文字として定着させて未来に残しておきたいなって思うのよね。)

言葉の選択や描写方法は、この時だからこそ出たものだなと思うけど、「私のこれからの生き方のベースとなる想いは、この時すでにできあがっていたんだな」とも感じる。今と変わらない。というか、この時の想いを起点に私はこの2年を懸命に過ごしてきたんだなあと感慨深い気持ちになる。色々取り組んだからこそ、「あ、考えが甘かった/浅かったな」とかいうことがわかって、微調整・軌道修正はもちろんあるんだけど、根元の部分はこのときも、今も、きっとこれからも変わらないように思う。

2021年は「ゆめとうつつのあわいに棲む存在になる」をやった。不眠不休で全力でやったよ。うん。マジで力を尽くした。全力でやりきったって思うから、そこから色んな考察も生まれて、軌道修正につなげることができた。「1対1でじっくりと話をする」は、それに本気で本腰入れて取り組んでいこう! と確固たる決意にたどり着くまでに丸2年間かかったんだなって思う。たぶん、2020年初頭の時点でものすごくやりたい気持ちはもうあったんだよね。だけどそれを口にすることが憚られた。自信がなかった。でも、そういう懸念とかふっ飛ばして「もう、私は、やりたいんだ!!」って気持ちが、今年になって臨界点を超えてどうしようもなく破裂したというか、「やらないと無理だ! なによりもこれがやりたいんだ私は!」って心底腑落ちたというか。でもここまでの気持ちの高まりというか、決心度合いの強さもありがたいよね。めちゃくちゃ遠回りして他の色んなものも試したけど、やっぱりここに一番、私のなかのエネルギーが向かいたくてしょうがないみたいだ、って思い知ってるから。

隠れ家のような場所をつくる」は、3つの中ではいちばん夢想っぽかった。私自身あんまりお店とか場所づくりに興味がないし、現実的なハコづくりっておもうとけっこう大変だから。なんだけど! 今年旅をしながら思ったのは、別に、私が場所自体をつくらなくてもいいよね。間借りすればいいよねって。それを思った瞬間、「あ、これももうすぐにできちゃうわ」って思いました。現状のイメージは、リトリート施設とか、ゲストハウスとか、私が「ああ、ここはゆったりとしたきもちで自分と向き合える静謐な場所だなあ」って思えるお気に入りの場所をいくつか見つけて、「今私どこどこにいるので、よければ来てくださ~い。ナラティヴしましょー!」って呼びかければおk。あとは、バーチャル空間にそれをつくることですね。これももうclusterなりなんなり、やり方はわかったので、やろうと思えばいつでもできる。

はあ、すごいなあ。この2年間でいろいろやって、後悔や反省もあるけど、いろんなことを吸収して見聞きして、そのおかげでふんわりとしかしてなかったアイディアが具体的に実行可能なところまでそれぞれ持っていける感じがある。

ちなみに余談ですが、タイトルを願文とした流れ。今年はおかざき真里さんの『阿・吽』という漫画が(そのなかのとくに最澄さんが)あまりにも自分の中で大ヒットしてしまったので、ちょっと仰々しくて身の程知らず感ありすぎだなと思いつつ、まあこれも今だからこそふっと出てきた言葉だなっておもったので、そうしてみました。

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