今までの振り返りだったり、今後の方針をきちんと言葉に落とし込んでおきたい(自分の記録のために)と思って、一昨日くらいからトライしているのですが、いったいどこからどう書いたものだろうか……という感じで、書いたら止まり、書いたら止まり、しているところです。自分の中ではキッチリ整理されているつもりなのですが、いざ書こうと思うとできないということは、まだ整理度合いが甘いということです。
頭の中で思うっていうのは、まだぼんやりとした霧状の状態でしかないから、ちゃんと掴むことができなくて、実は「考えているようで何も考えてられていない」状態に近かったりするんですよね。だからこそ、「文字」という可視化された状態にまずは定着させること、すごく大事だと思っています。
2022年12月9日ブログ記事『「読み手ありきの文章(ことば)」として書くことの効用』より
10日前に自分が書いてた文章からブーメランが飛んできております。なんとか、今年中には吐き出し切れるよう、がんばりましょう。ということで、思いついたところからつらつらと書いていく作戦です。
つまるところなんなのか
つまるところ、「『いわゆるVTuber』的なものが、私のやりたいことではなかった」ということがわかった、という感じですね、端的に言ってしまえば。そのフォーマットに乗っかっているのでは、私の表現したいこと、伝えたいことが、体現していけない。私が、私自身をよろこばせながら、楽しみながら、心地よく、サステナブルな活動をしていくことができない。だから、
・私の表現したいこと、伝えたいことが、体現していけるようにする
・私が、私自身をよろこばせながら、楽しみながら、心地よくいられるようにする
・今後、10年・20年・50年と、サステナブル(持続可能)でいられるようにする
ということが必要で、では、どのようにすれば、どういうものを構築すれば、これらが可能になるだろうか? というのを半年以上かけて、じっくりと考え尽くした感じになります。
「私、今ぜんぜんしあわせじゃないな」
と、ふと、思ったのです。今年のはじめくらいかな。まあたぶん、去年から実質的にずっとそうだったんだけど、気づかなかったというか、見て見ぬふりしてたのですね、この本音に。だって、フォロワーさんもいて、月々1万円以上投げ銭し続けてくださってるご支援者さんもいるなか、そんな恵まれた状況にありながら「私、実は今、しあわせを感じていないんです」なんて言えないですもん。「みんなからこんなに愛してもらえて私はとってもしあわせ!」って、笑顔で言わなければならない立場ですもん。認めてはならないわけです、このモヤモヤを。
私たちは、人の口から発せられたものは、その人自身の言葉であると考えがちである。ところが、私たちがいかに社会や文化の影響を受けているかを振り返れば、そのように単純に考えることはできない。私たちは、場の状況を見て、その場ではどのようなことを言うべきかについて思いを巡らせながら、発話する存在である。……立場上『話すべきこと』を話す必要性を感じながら、発言しているのだ。それはたしかに本人の選択ではあるのだろうが、何を話すべきかということは、社会文化的な構築物でもある。……専門職としてこのようなことをすべきだ、……このようなこと伝えるべきだというような、一般的な常識の再生産になっている可能性はないだろうか。
国重 浩一『もう一度カウンセリング入門 ―心理臨床の「あたりまえ」を再考する』kindle版P.23(第2章 私たちの発話)より
そんなことを考えている時期に、この文章に出会いました。あー。私、思いっきり今この状況なんだなあーって、客観視ができました。「“VTuber/配信者/支援を受ける側”という立場上、この場においては、このように言うべきである。(このように言わなければならない。)」と、知らず知らず考えていた。私は、その立場に、この言葉を、言わされていた。
私は、アイドルや芸能人やタレント、アーティスト・アスリートの方など、本当にすごい人たちだと思っています。「みんなは自分にどんなことを言ってほしいと思っているか」ということに応えて、みんなが思う「その人像」を崩さない。そして、そんな姿からパワーを私たちはもらったりする。だから、「その立場として物を言う」ことや、そういう役割をこなす人の存在は、この世に必要なものだと思っています。(そんな大規模な話ではなく、みんな日常的に「親として」「先生として」「先輩として」等、役割発言をしてると思うし、それはそれぞれの場で必要な言葉の受け渡しです。)
でも私がやりたいのって、そういうのじゃないんだな!
っていう、そこなんです。そこ。私は、いわゆるタレントやアイドルみたいな、「“その人像”を崩さないで、その立場として物を言うこと、その姿勢によって、みんなに笑顔や勇気を届ける」みたいな、そういうことが、したいのでは、ない! (これは、その人たちの在り方を否定しているのでも、ない! むしろ、めちゃめちゃ尊敬している。感服する。そのうえで、)でも、私がこの世界において担いたい役割は、そっちでは、ない! ということ。はい、職業選択をまちがえました、ということです。
では、私がやりたいことは何かといえば…………なかなか、じょうずな言葉でまとめられないのですけど。上で引用した文章から言葉をお借りするならば、「一般的な常識の再生産になっている可能性はないだろうか?」「それによって生きづらさが生まれていないだろうか?」と、問いかけるような態度(目線)を常に持ち続けていたい、みたいな……。
一旦ここまで!