料理や掃除などをするときには、なにか音声を聞くのですが、先日はふと『星野源のオールナイトニッポン』を選びました。星野源さんのことは、NHK朝ドラの『アイデア』を聴いて、ああいいなーと思ったのがはじまりで、『おげんさんといっしょ』も『星野源のおんがくこうろん』も好きで。そんな流れで見た『わしゃがなTV』、モンスターファームの円盤石として選んだCD3枚のラインナップが「あ、この人……ガチだ。」と思わせるもので(特に1枚目に放ったやつが最高で)、株が爆上がりして…みたいなところで。マフィア梶田さんとの対話もとてもとてもよくて……という話はまた別にじっくり書きたいです。
Yes, I am はぐれもの.
深夜ラジオを聴く人は、(略)そのなかでも特に星野源のオールナイトニッポンを聴いている人は、(略)「はぐれもの」って言いますかね。(略)自分もそういう自覚があるわけ。中学生・高校生の時に、まあ本当に、なんだろね、「リアル社会からこぼれてんな~」っていう意識があったから、そんなかでラジオが受け止めてくれてるような感覚があった。(略)そこに自分の居場所があるとは思わないけど、なんかこう、話を聞いてくれたような感覚があった。[04:00~05:30]
星野源のオールナイトニッポン 2022年12月06日放送分
ああ……はぐれもの。それ。わかる。私も、それ。考えれば考えるほど。何度演算を繰り返したところで、たどり着く結論はいつも同じ。覆しようなない事実として「私は、世間一般の多くの人とはまったく違う、相容れない感覚を持っている」と帰結する。それは、落ち込んでいるときの私の言語では“人でなし”と表される。そう、人ではない。人間ではない。私はきっと宇宙人なんだ。この地球という星に住んでいる人間とは、根本的なところがちがっている。だから、人間たちの間に分け入っていくと、必ずといっていいほど、その「内部構造の違い」によるすれ違いで、かかわった人を傷つけてしまう。そんな、どうしようもない、はぐれもの。
それはもうどうしようもないこと。この世界/その場所でのお作法をどれだけいっしょうけんめい学んだところで、決して「矯正」できないものを抱えている。それは私が「私星人」であるかぎりしょうがないことだし、どれだけ細心の注意を払って擬態したところで、いつかはボロが出てしまうか、ボロが出る前に自分がまいってしまうかのどちらかだ。もういいかげん、そのことを受け入れるしかなかった。
そして、別にそのことが孤独でも何でもない。むしろとっても居心地がいい。そんな感覚を抱いてしまうところがいちばん、人でなしで、はぐれものだ。――この「はぐれものの感覚」が、この日、ふいにラジオから聞こえてきた言葉で、受け止めてもらえた気がした。きっとかつての星野少年とおなじように、私も。
「俺もそう思うよ」って言ってもらえた気がした
今は…Twitterとかで実況とかあるわけでしょ。でも見ないんですよ、僕はそれを。ラジオをやるときは。なぜかというと、ハッシュタグって勝手にリスナーが盛り上がればいいと思うからで、そこにパーソナリティは……僕の番組はね、反応しない方がいいと思っている。僕が反応したいのはメールなんですよ。メール及びハガキなので。(略)ハッシュタグの実況のみんなは、仲良くやればいいと思う。自分の意見を言ってなんかこう意見を交わし合う場所とかじゃなくて、だた馴れ合えばいいと思う。ふふ。ほんとに「楽しいねー!」って言う場所になればいいと思ってるから。僕が入っていったりしない方がいいと思ってるから、見ないようにしてる。[06:38~07:28]
星野源のオールナイトニッポン 2022年12月06日放送分
あー------ー-。どうしよう、私、今、もっのすごー------------く、救われた。救われた。わー。すごく、すごく……ああ、きっと、このひとは、私に近しいひとだ。同じようなものを好んでいる人ひとだ。同じようなまなざしで世界を感じているひとだ。……なんてのは、私からの独りよがりってことも、わかってるけど。でもね、私は、今このときに、この言葉を与えてもらえたことが……。こういった言葉を世に放ってくれる存在がいてくれたことが、ことに、ものすごく、救われた………。
そのように言葉を重ねてくれたことで、「俺もそう思うよ」って言ってもらえた気がした。そして私は芸能人という権威性ある人の言葉を引用し隠れ蓑とすることで、虎の威を借る狐になってしまえる。なんて臆病者で小心者なのだろうね。ああ、でも、すごいな。かっこいいなっておもう、言い放ってしまえるところが。でも、そうやって言い放ってくれたことが、この一小市民をこんなにも救うことになるのなら、私も少しずつ、いろんなこと言い放っていけるようになりたいな。
別に、いいんだね。そう思ってもいい。自分がどうしたいかで決めてもいい。最終的には自分がどうしたいかなんだよね。自分がどうしたいかをすればいいんだよね。結局それしかないんだよね。それを去年の私はちっとも考えていなかった。「私の居場所は作るものだった」と、『喜劇』のなかであなたは歌ってくれたけど、そうね、私は作ってすらいなかったね。作っていたつもりで、真似事でしかなかった、だから私のほうが追い出されたんだ、はぐれものとして。(というのは私からの景色なので……「私のほうから身を引いたんだ」のほうが、すわりはよさそうなので、そのように訂正します。)
自分の心の奥底にあるワームホール
この曲「ワームホール」っていうタイトルなんですけど、(略)レイ・ハラカミさんの音楽って誰かの真似をしたりとか、時代に合わせて音楽を作ったりじゃなくて、レイ・ハラカミさん自身の個人の中にどんどん潜っていって、それを突き詰めたような音楽だと思う…というような話をしたんですよね。僕も作っていてそういう感覚があるんですけど。自分のなかに潜って潜って潜って……いっちばん底に着いたときに、そこに出口があって、それがワームホールで。そのワームホールっていうのは色んな時空とつながっていて、それは人の心の中とつながっているのだという。それは自分の実感として、実体験としてある感覚なんですよね。曲作りをしてて、その曲を聞いてもらった時の、たとえばライブとかでみなさんの表情を見ているときに、なんかその「あ、心の中に届いている感じがするな」っていう。[28:50~29:55]
星野源のオールナイトニッポン 2022年12月06日放送分
もうわかりすぎてウルウルしちゃうよ。これが2020年のはじめに時間も空間も超えて清少納言が私に会いに来てくれた、そのときに使われたワームホールであろうし、『3月のライオン』で零くんがひなちゃんに嵐のように救われたときに使われたワームホールで、私が同じ生きづらさを感じている人のもとへ未来へ過去へ駆けていきたい、そのときに使うワームホールだ。
数日前に、『ほんとうに心を通わせると「永遠の心の循環」がうまれる』という文章を書いたのですが、それともつながるお話のように思います。オウルチーム(オブザーバー)の方々による『リフレクティング』という時間、あるいは『オープンダイアログ』の場、これらは意図的に語り手の心の中とオブザーバーの心をワームホールで繋いでいこうとする手続きなんじゃないかと、ふと思いました。
そうだよ、別にキュウベえと契約しなくても、エントロピーの力なんて使わなくても、人類には「過去、現在、未来、全宇宙に存在するすべての魔女を(略)消し去る」ことができる力を持っているんだ。少しずつ、少しずつ、地道な力で消し去っていってるその過程なんだー-ー!!!(『魔法少女まどか☆マギカ』というアニメを連想したオタクの叫び)
今、2020年4月10日にカウンセラーさんからいただいたお手紙を読み返していたのですが……! これか、これか……!! おおお。今度は私がそちら側の感覚を体験・実感してしまったということか。なるほど……!! だからこれが、自分語りが秘めし絶大なるパワーというか。その苦しみの吐露が、この世界の誰かの存在・在りようをみとめることにつながるかもしれないんだ。であれば、じゃんじゃんだしてこ! ってかんじね。わかったよ、私もできる限り出していくよ……!!
星野源『喜劇』
劣ってると 言われ育った
このいかれた星で
普通のふりをして 気づいた
誰が決めつけた
私の光はただ此処にあったあの日ほどけた
星野源『喜劇』より
淡い呪いに
心からのさよならを
ナラティブ・アプローチは『私の光』をともに探していく行程ですよね。私を照らす光は、私自身のなかにあるのです、必ず。あなたを照らす光も、あなたの外側にあるのではなく、あなた自身のなかにあるのです、間違いなく。私はそういう考えを持っています。だから、去年の活動にはこれ以上携われないなと思いました。私は、あなたの光を探し出すお手伝いをする者として、この世界で生きていきたいと思いました。
わたしのなかで一番大きかった『呪い』は、『あの日』、2020年3月のナラティブ・セッションで、「光合成」という言葉をみつけたことで、そしてそれを見つけた喜びを一緒に喜んでもらえたことで、『ほどけた』。かつて悲劇を生きていた私は、今は喜劇を生きている。