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12月8日のカウンセリングの振り返り

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今年はたくさんお話を聞いてもらった

4月、6月、8月、9月、12月に、合計6回。

今年は4月11日、4月15日、9月22日、12月8日と計4回を受けました。(4月は2連チャンでやっていたことはすっかり記憶から抜けていました。)加えて、講座やワークショップにも参加してクライアント役をやったので、6月8日、8月22日も話をじっくりと聴いてもらう機会がありました。合計6回です。

こうして振り返ってみると、今年はものすごく、定期的に、しっかりと「話を聞いてもらう」と「その前準備として内面整理ためのの独白長文を書き綴る」ということをやりながら進んだ1年だった……のですねえ。(改めてスケジュール帳など確認しながらまとめてみて、ほおぁ~~という気持ちになっています。)そのくらい、ひとつひとつ気持ちの整理をつけないことには進むことができなかったのですね。

8月22日だけちょっとタイミング的にイレギュラーな内容をお話したのですが、それ以外の5回は、ひたすら『自分の活動のこれまでとこれから』について話を聞いてもらっていました。これだけやりつくして、やっと、や~~~~っと今日、しっかりと、納得とかスッキリとか、心の整理整頓、洗いざらい、できた感じです。これだけの時間と期間、必要だったのだなあと思います。

申し訳なさもかんじながら

2021年の私の配信活動を見てくださっていた方にとって、2022年の私は「突然の失踪」とか「沈黙」とか「唐突でショッキングな告知」みたいなものばかりで、困惑させたり、悲しませてしまっただろうと思うし、それについて申し訳ない気持ちはずっと持ち続けていましたが、でも、きちんと心の定まらないままに何らかの声明を発表することはできませんでした。不義理を働いてでも、きちんと自分ととことん向き合い尽くすことを今年はしないといけない、そうでなければ次のステップに進んでいくことはできない、と考えていました。

経過を逐一報告することも控えました。それは、去年の反省があったからです。去年私は、悩んでいる姿や悩んでる内容を赤裸々にすべてそのまま毎日ライブ配信に乗せていましたが、あれはよくなかったなと振り返って思います。私の中ですらまとまってないことを、たらたらとしゃべったところで、日々二転三転はするし、混乱を招くだけで、いいことないなと。やはり表には「決定稿」を出すものである、と思いました。

今日のカウンセリングで思ったことメモ

さて、今日のカウンセリングで感じたことを書き留めておこうと思います。実はこのほかにも色々ありましたが、それは内容に深く触れるので、それはカウンセラーさん宛のメールの中にしたためました。

今日のカウンセリングは、カウンセラーさん1名、OW&Rチーム3名、私、というメンバーで行いました。(OW&Rチームについての説明はまた別の記事で…。一応2年前にちょこっとOW&Rチームについて触れた記事もあるのでご参考までに)

イメージを引き出してもらうこと

基本的には、私の抱えているモヤモヤをお話していったのですが、やはりナラティヴ、私の心の中に潜んでいた色々な想いであったり、イメージや言葉がたくさん引き出されていきました。私はけっこうイメージでものを考えるほうなので(アニメ漫画オタクゆえに妄想力が豊ってことです)このプロセスをいつも楽しんでまして、今回は「船の上で…」とか「将軍みたいな人が『うむ。仕方がないのである。』と腕組みして言っている感じ」とか、出てきたものは面白かったです。

面白かったし、「船の上で…」のイメージを作り出せたことはすごく自分にとって重要だったと思います。これは、「これから自分はこういう気持ちで取り組んでいきたいと思う」といった自分の意思を、ワンシーンで表すならこんなかんじ……という流れで出てきた情景、つまり『場面的比喩』のような感じだったのですが、それというのは「ああ、これって、そういう感じなんだなあ……」って、自分の心象風景が眼前に立ち現れて来るような心地なんですね。文字(言葉)で説明していたものを、絵で描き起こすような。左脳で考えていたことを、右脳的理解に変換するような。なんだかそうすると、自分の中でも理解度が深まります。コンバートの過程や結果で、よりニュアンスをつかめる、感覚に落とし込める、そんな感じです。

「将軍みたいな人が『うむ。仕方がないのである。』と腕組みして言っている感じ」というのは、……これはちょっと別個に記事を作って書きます。

津波でんでんこ・いのちでんでんこ

OW&Rチームの方のおひとりが、私の語りを聞く中で「津波でんでんこ」を連想したということを伝えてくださいました。こういうふうに、私の語ったことに対してその方の中で思い浮かんだものをつたえてもらえるというのはとても面白い体験です。なるほどなと思ったり、その共有された物自体が自分にとって学びになったり新たな知識を得ることになったりします。

ふんわりとしか知らなかったので、カウンセリング終了後にぐぐってwikiを読んだりして。検索する中で見つけたこちらの記事内にある動画を見ながら、もう色んな意味で心を打たれて、ウルウルしながら鑑賞しました。

ミュージカルで表現するということ、“それを観た感動”というかたちで観客に伝達されていくものがあること、祭りが大切なものとしてあるということ、ダンスという身体表現、うた。そして「いのちでんでんこ」という言葉。もう、ほんと涙腺ゆるゆるのアラサーを直撃してきました。

セカイ系的に考える:私は一細胞として「世界を健康にしてあげたい」

「私がナラティヴを学んだり伝えていくことが、世界の幸せを最大化すると思う」みたいなことをいったとおもいます。(いちいち誇大妄想チックな発言が多いのが私です。それが日常です。セカイ系な世界観のなかで生きております、ハイ。)

それについてOW&Rチームの方が触れてくれているときに、私は『はたらく細胞』という漫画を思い浮かべていました。赤血球や血小板などの細胞を擬人化した漫画で、読んでいると「あ~私の身体のなかで色んな細胞ちゃんたちが、それぞれの役割を果たしながら、がんばってくれてるんだな~」って気持ちになります。

めちゃくちゃ不健康な人の体内を描いた『はたらく細胞 BLACK』も大変身につまされる想いがしておすすめ

で、またいきなり話がぶっ飛ぶのですが、たとえば「地球=ひとつの大きな生命体」と考えたときに、私たち人間一人一人って細胞なわけです。地球にとっての。(ちなみに世界・社会などに言葉を置き換えてもいいです。)で、私はいち細胞として「世界を健康にしてあげたい!」と思うわけです。特に「生きづらさという世界全体に蔓延してるモヤモヤした瘴気を、少しでも減らしたい!そのための取り組みをしたい!」と思う細胞なんです、私。

で、細胞っていうのは、役割が決まってるんです。赤血球はウィルス退治はしないし(それは白血球の仕事)、マクロファージは止血しないのです(それは血小板の役割)。こんなふうに、自分がもし世界を構成する一細胞だったときに、私の役割は何だろう? ってことを自覚というか、「こうだ!」と自分の中でしっかりと把握・掌握できてることは、生きづらさを軽減するひとつのことですよね。

そして赤血球が「なぜ自分はウィルス退治できないんだろう…」って悩むことってすごくナンセンスですよね。だって赤血球だし。それが役割だし、それを全うすることが大事だし、ちゃんと他に白血球がいてくれてるから、いいんですよ。って話で。全細胞の役割を全部できるマスター細胞なんていないし。それぞれ違う働きの細胞たちが協力し合って世界を健康に保とうとしている、それがこの世界だと思うのです。だから、「なんで自分はあれもこれもできないんだろう…」とか思ったりすることも、「や、別にそれは自分の役割じゃないよね。なんでもかんでも全部自分でできなくてもいいよね。それができる人の手を借りること、協力し合うことが大事だよね。」って、そう想うことも、生きづらさを軽減するひとつのことだと思っています。

今日のカウンセリングのイメージ映画は『海獣の子供』

今日のカウンセリング全体をふりかえってどんな感じですか?というのに、「3時間の映画を見終わったような感じ」と言いましたが(OW&Rチームのおひとりが「自分にとっては短編が何本もつまってる映画を見たような感じ」とおっしゃってたのも面白かった。こういう感じ方の違いも楽しいですよね。)そのときにイメージしてたのは『海獣の子供』ですね。米津玄師さん~。

特に2:10~のあたりからのところ。

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